不死鳥の涙 ーリック・シンプソン物語ー 第5章

2019年2月6日

第五章  王立カナダ騎馬警察の最初の襲撃

 病院でのおかしな経験から数日後、私は母親に会いに行った。母はかなり頻繁に下腿と足に起こる湿潤性乾癬に悩んでいた。私は母に外用薬としてオイルを使ってみるように提案した。いつも通り、オイルは魔法のように働き、彼女の病状はすぐに改善したのだが、私は健康を向上させるために、このオイルに改善できない症状があるのか疑問に思い始めていた。私がすでに目撃してきたオイルの治癒力はずば抜けていたからだ。ことここに至っても、私は未だ自らに言い聞かせていた「こんなことが事実であるわけがない、もし本当なら、こんないい薬が今まで無視されてきたはずがない。」
 何週間か過ぎて、私は知人たちにオイルを提供し始めた。皮膚癌や感染症、火傷などの局所的外用薬治療が有効な病状に悩んでいる人たちだ。私がしていることは口コミであっという間に広がり、私のところには助けを求める人たちがどんどん来始めた。私はこのトピックについてあまり知らなかったので、ここはヘンプに対する真剣な調査を始める時だと決めた。特にこの植物の医薬的側面について。私は、ほとんどというか、全くインターネットや新しいコンピュータの経験が無かったので、隣人のルビーとラリーのビャルネイソン夫妻にインターネットでリサーチしてくれないか頼んでみた。ルビーとラリーはとても知的な夫婦で私がしていることに深い興味を示してくれていた。それに、彼らは既に定年を迎えていたから、この任務にあたるのにこれ以上の適材は考えられなかった。
 私が他の人にオイルを提供し始めた時、何か一つでも悪化したら大きなトラブルになることは承知していた。人々はいつも私に言うのだった「あのなぁ、運が悪かったら、無免許で医療行為をしたかどで、捕まっちまうんだぞ。」私が助けようとしている人達からのこういった言葉は、私を安心させるのには全く役には立たなかったが、とりあえず、少なくとも真剣な調査を始めることにはなったのだった。私はオイルが経口摂取されても無害なことは知っていたが、それでも誰かの病状が悪化して、オイルのせいだとされれば、逮捕されることは理解していた。最初の頃は、こういう事が起きる可能性を考えると、大きな不安を感じたものだった。
 2003年夏、私は河原に140本の大麻草を植えた。私は人々にオイルを無償で提供していたから、継続していくためには、自分で大麻草を育てなければならなかった。その年、プラントは非常によく育ち、そこから薬を作ることが出来る大きなバッツが実っていた。しかし、そう上手くは行かなかった。2003年9月13日、収穫のおよそ一週間前、RCMP(王立カナダ騎馬警察、カナダ連邦警察)が裏庭の河原にヘリを着陸させた。彼らが防弾チョッキを着て銃を構え、ヘリコプターから一斉に飛び出して来るのを、私はテラスのドアから見ていた。それから私は、彼らが降り立った所に向かって歩いて行った。そこに警官が一人近付いてきて、彼らがマリファナ栽培の現場を特定し、私を逮捕すると叫んだ。
 私はその警官に、彼らが発見した植物は私の所有地の敷地外にあり、彼らには私の家の裏庭にヘリコプターを着陸させる権利すらないことを伝えた。ヘリコプターはまだ動いており大きな騒音を出していたので、その警官が私の言ったことを理解したか、確信が無かった私は、踵を返し家に向かい、彼は私についてきた。それから彼らは私の屋敷を家探ししたが、捜索令状は無かった。私の家の地下室には高さ4インチ(10cm)の小さな苗木が30本ばかりあったが、もちろんそれらも見つかった。警察はまるで、死体を発見したかのような勢いだった。そこから警察が横柄な態度を取り始めたので、私は激怒して言った「聞け!あんたたちは今ある法律を全て破っている。私は医療用大麻の患者で、私の言っていることを裏付ける病歴もある。」これを証明するため、私は医療記録の入った大きな箱を彼らに見せた。すると一人の警官が「じゃあ、あんたのマリファナ所持を許可するライセンスはどこにあるんだ?」と訊いてきた。今まで医療システムが、私に処方箋を出すのを拒んできたのだ。彼の物言いは、私をさらにキレさせた。私はイラついて彼らに教えてやった「医者から大麻所持のための診断書をとるのは、宝くじに当たるより難しいんだ。」警官は私を鼻で笑ったので、さらに「もしそんなに処方箋をもらうのが簡単だと思うなら、自分でとってみたらいい、俺は何人もの医者に頼んだが、誰一人として応じなかったよ。」と言ったが、それが何の効果もないことは見て取れたし、私はさらに頭に来ていた。ついに私は、彼らに対して、自分たちが引き抜いているのは癌の治療薬だということを知っているのか、と一喝した。この言葉で、その場にいた警官全員の顔が、呆けたかのようになった。
 私は自分が言ったことを証明する為に、自分の病理報告を彼らに見せ、私は彼らと腰を下ろし、どういうことか全て話した。然る後、彼らはその前よりも丁寧にふるまい始めた。彼らの行動から判断するに、自分達のしていることを、これらの警官たちが一体どれほど理解しているか、はなはだ疑問である。おかしなことに、彼らが私の家を去る時には、3人の警官が私のところに来て、握手をしていった。ふつう警官はそんなことはしない。それはまるで、自分たちがしたことに対する良心の呵責に耐えられないことを、示しているかのようだった。その日起こったこと全てが、悪臭を放っているかのようだった。あの人達は、見た目より本当に理解しているのだろうか?彼らが私の所有地を去った時、プラントは全て無くなっていたし、家の物がたくさん持ち去られていたが、私は逮捕されなかった。彼らの襲撃で私の家に発生した状況を、一般的に何と呼ぶかは知らないが、私はこれを政府公認の強盗と呼ぶ。私は作業するためのプラントが無くなってしまったので、地元の栽培者からヘンプをいくらか購入し、オイルを無償で患者たちに提供し続けた。私に関して、この薬の使用を否定する権利を有していると考えている者たちは、喧嘩を売る相手を間違えた様だ。今やどんなことがあろうとも、私はこの植物の薬用価値を、この植物の栽培や使用を禁止してきた者達に対して証明してやるつもりである。どんな手段を使っても。
RCMPの襲撃から数日後、ラリー・ビャルネイソンが訪ねてきたが、不可解な表情を顔に浮かべていた。彼は「The Case for Hemp (大麻擁護論)」というレポートを掘り当てていた。それは人類のここ数千年にわたる大麻使用の年代記であり、かなり長いもので、そこには過去になされた医学的調査に関する情報も含まれていた。私は1975年のヴァージニア・コモンウェルス大学医学部癌センターの研究をそこに発見し、見てすぐに、これが30年前にラジオで聞いた研究に違いないと気が付いた。私が発見したこの植物の薬効に関する、全てを裏付ける真実が、そこにはっきりと書かれていたのだ。
 ラリーが挙動不審だったので、一体どうしたのか訊いた。「リック、彼らは30年前にこの植物が癌の治療に有効だと知っていたんだ。」私は答えた「そうさ、それは火を見るより明らかだよ。」彼は続けた「10年前に兄を癌で亡くしたんだ。」私はやっと、なぜこのレポートが彼をそんなに動揺させたのか分ったのだった。ラリーはこのリサーチを通じて真実を発見し、システムに対して抱いていた信念が雲散霧消してしまったのだ。
 2003年9月、私の発見に関する他の情報とともに「The Case for Hemp」をDr.デイヴィッド・スズキに送った。彼のテレビ番組「The Nature of Things」が私に大麻を薬として使わせる最初のきっかけとなったのだ。この情報を提供するのに、彼をおいて他にいないと考えたのだ。デイヴィッド・スズキはカナダで最も尊敬される傑出した研究者の一人だった。私は医者ではないので、人々は私の言う事に耳を貸さないだろうが、Dr.スズキの意見なら尊重するだろうと考えたのだ。1カ月程経ってから私は、Dr.スズキは現在、講演ツアーのため国外にいるが、私が提供した情報に大きな関心を示しており共同研究者達と話し合いを持つだろう、との返事を受け取った。
 それから私は、もう一通の手紙をスズキ財団に送り、彼らが自分たちで評価ができるように、オイルの提供を申し出た。その中で私は、皮膚癌の患者を見つけて、オイルを絆創膏に塗って貼り、3日置きに取り替え、何が起こるか見るだけで分かることを伝えた。その後間もなく、彼らの返事を受け取ったのだが、そこには「我々は財団であって、研究施設ではありません」とあった。私はこれを読んだとき、開いた口が塞がらなかった。この財団は、評価をするための絆創膏を買う資金にも不足しているとみえる。若しくはこの財団は詐欺なのかもしれない。癌の治癒に全く興味を示さないのだから。
 数年後私は、これと同時期に、アメリカ政府がこの植物に関する薬品の特許を承認していたことを知ることになる。私はDr.スズキがアメリカ政府のしたことと何か関係があるのではないかと勘繰ってしまう。あくまでも推測ではあるが。何十年も彼の番組のファンだったが、この件に関する彼らの態度から「The Nature of Things」を見るのを止めてしまった。この番組が提供する情報が、全く信用できなくなってしまったのだ。
 その後、2003年11月、私は膨大な量の資料と提案を、政府のあらゆる部署に書留で郵送した。「The Case for Hemp」を含む全ての情報を、私が練り上げた計画とともに、カナダ政府の以下の人たちに送り付けたのだ。その時点で権力の座にあった自由党の厚生大臣アン・マクレラン、新民主党の党首ジャック・レイトン、我々の地域の保守党下院議員マレイ・スコット、ノバスコシアの新民主党リーダーのダレル・デクスター。それからカナビスカルチャーマガジンのオーナーであるマーク・エメリー、彼は少なくとも興味だけは示してくれるだろうと思っていた。この中で、ジャック・レイトン以外は返事すらよこさなかった。その返事でさえ紋切型の印刷物で「新民主党に投票を」というものだった。そこには私が送った情報に関する彼の返事はなく、新自由党はこの件について関心が無いようだった。私と保守党地方議会議員のビル・キャセイとの会談をマレイ・スコットがアレンジしてくれた。彼はマリファナが合法化されるのには反対だとした上で、これは国の事案だと述べた。私は、これはマリファナを合法化する話ではなく、医療目的におけるこの植物の使用についてであり、癌の治療法は国民全員の事案のはずだと伝えた。
 2003年以降、マレイ・スコットの事務所には沢山の人達がこの事案で訪れた。その中には個人的にオイルを使い、このオイルが自分やその他大勢に何をしてくれたかよく知っているエド・ドワイヤーのような人間を、彼は知っているのだ。それにも拘らず、彼はこの薬の使用を後押しするようなことを一切しなかった。そうしていたら彼に投票した人達を助けられるかもしれないのに。私の考え方では、マレイ・スコットは、政治家はこうあってはならない、という最たる例である。今のカナダの政治では、マレイのような人間が運転席に着いている。こんな器の人間達が、我々の代表として発言する必要が早々に無くなることを切に期待する。同様に、ダレル・デクスターも何人かの人たちと、この事案について接触があったが、関心を示すことを拒否した。ダレル・デクスターは現在ノバスコシアの知事であるが、真実が明らかになった暁には、彼がこの地位についていることを望まぬ者が、少なからず出るだろう。
 2ヵ月程経って、私はビル・キャセイとアムハーストの彼の事務所で会合を持った。そこで自分がしてきたことについて彼に語った。私は全ての情報と「The Case for Hemp」を、2003年11月にカナダ政府へ送付済みの、私の提案書と共に彼に渡した。私と共通の知り合いで、治療薬としてこのオイルを使用した人たちの名前を列挙したが、彼は私が挙げた名前の人達を、まるで知らないかのような素振りをしたので、「あんたに証明するから、俺と車でアムハースト病院へ行って、皮膚癌の患者を探してこよう。」と言った。「いやいや、それはできないよ。」と彼は応え、代わりに国会図書館に行って、この件に関する内部文書を手に入れると提案してきた。私はただ彼を見て言った「あんたは、大麻の医薬的使用に反対のプロパガンダを展開している張本人であるオタワのやつらから、内部文書をもらってくる。そう言いたいのかね?」ここまで来ると、キャセイ氏は目に見えて、少し不機嫌になっていたが、この件について調べ、私に知らせると言った。その後何カ月経ってもキャセイ氏からは音沙汰無く、今日でも人々は必要も無く死んでいる。
 この地方議会議員との極めて不満足な会合の後、カナダ癌協会に連絡を取った。私は彼らなら確実に、この状況について何かしてくれると考えたのだ。彼らの返事は、私が誤解していたことを悟らせてくれた。彼らはウェブサイトで、カナダ癌協会の第一目標は癌を根絶することであると謳っている。しかしながら、可能性がある特効薬の連絡をすると、馬鹿みたいな返事が来ることになる「当協会は医薬品やサプリメントの推薦をしておりません。」カナダ癌協会は特効薬など望んでいないのだ。もし、それが発見されてしまえば、彼らは全員失業することになってしまう。カナダ国民は何十年にもわたって、この組織に財産を寄付してきた。そして、その支援の見返りがこれなのだ。過去には私自身も癌協会に募金したが、もう二度としないだろう。
 何年もの間、人々は何十億ドルという寄付を、このような団体にしてきたが、見返りとして何を得たのだろう?結局のところ、寄付を募る電話を掛けてくる組織の代表者達は、彼らの理想の為に募金をしなければ良い市民ではないと我々に感じさせる達人にすぎない。私の父は救世軍にしか募金せず、残りは泥棒の集まりに過ぎないとこき下ろしていたが、結局、彼はまたもや正しかった。これから程なくして、私は医学の協会や財団、基金やらが嘘っぱちであることを知ることになる。これらの団体は単純に、こういった組織が公衆の支持を受けているというイメージを刷り込むのに、非常に長けているだけなのだ。
 1990年代初頭、オールセインツ病院の経営者であったウイリアム“ビル”ギルバートは持病のせいで、その地位を退かなければならなかった。彼は仕事柄、医療システムと深く関わっていたので、私は誰か助けになる人を紹介してもらえないかと思い、ある晩ビルの家を訪ねて、私が発見したことについて彼に話した。彼と私は長年の付き合いだったので、私が何の根拠も無く、こんな話をする人間ではないことを知っていた。「お前さんは、癌の特効薬を見つけたって言うのかい?」と彼は言い、私は「そのとおり」と応えた。すると彼は、彼自身が癌で苦しんでいることを知っているか、と私に尋ねた。私は彼が癌だとは、全然知らなかったと答えた。ビルが仕事を離れた時、辞職は癌のせいではなかったから、彼が言ったことは驚きだった。
 それからビルは、自分の病気を治療するために使われた薬剤が、副作用で胃癌をもたらしたことを告げた。それで私は、彼がどんな治療を受けているのか訊いた。彼の答えは化学療法だった。「化学療法は何をするんだい?」彼が言うには、胃にこぶし大の腫瘍があり、化学療法を受けると収縮するのだが、往々にして、大きさを増して元に戻るのだった。私は、それでは化学療法は功を奏していないようだと指摘し、オイルを試してみてはどうかと勧めた。
 私が話したことを、ビルが真剣に受けた止めたことに、疑問の余地はないが「リック、息子は化学者なんだが、電話してどう思うか聞いてみるよ。それから返事をしよう」ということになった。一週間が過ぎ、ビルに呼ばれて家に行くと、彼の息子からのEメールの束を見せられた。最初の一通は「その人に近付かない方がいいよ、父さん。イッちゃってる人だよ。」私はビルを見て、誰でも自分の意見を言う権利がある、と言ったが、彼は先を読むよう促した。次の一通は「父さん。この人は何かつかんだのかもしれない。」残りのEメールは段々と、治療としてオイルの使用を支持する物に変わっていった。ビルは私に、治療としてオイルを使うことに興味がある、と言って来たが、ちょうどその時、彼に提供できるものを全く持っていなかった。その年は、オイルを精製するのに適当な素材を手に入れるのが非常に難しかったのだ。ほんの数日前に最後のオイルを他の患者にあげてしまっていたのだ。私は近いうちに彼にいくらか用立てると言ったが、我々は栽培者が収穫を得るのを待たなければならなかった。
 一週間後、ビルが再度の化学療法を受けた後、亡くなったことを私は知らされた。今回の化学療法は、ビルの腫瘍をただ収縮させただけではないようだった。ビルの死から2日経って、栽培者から電話があり、私が探している材料が準備できたと知らせてきた。この時から私は、化学療法と放射線療法が現実にどれほど危険で致命的なものなのか、意識するようになったのだった。ビル・ギルバートのような尊敬に値する病院組織の経営者が、自身が働いてきた、まさに同じシステムの犠牲者となることは慙愧に堪えない。
 2004年4月18日、私の父が81歳でこの世を去った。彼は素晴らしい男であり、人生の何たるかを、私に少なからず教授してくれた。その3年ほど前に父は、命が危ぶまれる何度かの心臓発作を持ちこたえていた。彼はその度に生き延びて医者を小馬鹿にした。そんなこともあり、彼の体調は芳しくなく、介護が必要となった。家族で一緒になって彼の為にできることをしたが、皆にとって非常に大変だった。私自身、好調とは言えない時期だったが、助けになることを出来るだけした。死ぬほんの数か月前、彼はアムハーストの養護施設に入所した。私は毎日、彼に会いに行き、大抵ドライブに連れ出した。彼はアムハーストでは幸せそうではなかったので、リトルフォークスの私の家に連れて来て、住まわせることに決めた。父が死んだのは、ちょうど彼の為に家を整理しようとしている時だった。私たちはいつも近くに居て、父はオイルが私の病状に何をしてくれたのか、よく理解していた。私が医者になるという父の望みは果たされることはなかったが、彼は私の作ったオイルが素晴らしい治療薬だと知っていたので、形は違えども、父の夢は実現したと言えなくもない。
 父はよく養護施設の職員たちに、この薬の治癒力について話していたものだったが、その時は、彼が話していることを信じる者は少なかった。今知っていることを当時知っていれば、彼の身体をオイルで一杯にしたことだろうし、今日彼はまだ我々と一緒にいたかも知れない。もう後の祭りだが。それでも、他に何もないにしろ、少なくとも私は、長年悩まされていた彼の皮膚の症状をオイルで治療することに成功した。父の死まで、他の人達を助けるのになかなか手が回らなかった。毎日の面会に束縛されていたからだが、一緒に過ごした時間を一秒たりとも後悔していない。今や、彼は逝き、私の人生に穿たれた穴を埋めるべく、私はより多くの人達を助けるために、人生を費やすべきだと感じている。父の死から、私は可能な限りたくさんのオイルを製造することに、全精力を傾け始めた。
 確かこの頃、私は癌で死にかけている犬に、初めてオイルを提供した。私はパースボロに住む7歳の犬を飼っている男から連絡を受けていた。とてもかわいがっている犬で、彼は獣医のところに連れて行ったのだが、彼らが提案するのは高価な化学療法だけで、成功の可能性も低かった。彼は、オイルを使ったことのある親戚から私の事を聞き、私に電話してきて、犬にも同じように効果があるか尋ねたのだった。私は彼に家に来るように言い、そうすれば、治療として犬に少量のオイルを与えられることを伝えた。
 彼の犬が今口にできるのは、ほんの少しのドッグフードだけだと説明されたので、オイルをドッグフードの上に垂らして、それを犬に与えるよう指示した。一週間ほどして、彼から電話を受け取った。彼の愛犬は良く食べるようになり、普段通りに戻ったようだった。それから数週間して、彼は私の家に犬を連れて遊びに来たのだが、見る限り、彼の愛くるしいお仲間は健康を取り戻したようだった。彼は犬を再び獣医のところに連れて行ったが、癌の存在は発見されなかった。彼はペットに健康が戻ってきてとても嬉しそうだったが、今回彼が体験したことに釈然としていないのは明らかだった。彼は不信もあらわに「リック、あいつらは嘘をついてきたんだ。そうだろ?」と糾弾した。「そういうことだ。証拠はあんたの隣に立って、尻尾を振ってるよ。」事実として、獣医たちが動物を治療するのは人間の医者達と全然変わらず、彼らが提案する化学療法を提供されていれば、この犬はその作用で死んでいただろう。動物の治療は大きな市場だが、オイルが自由に手に入るようになれば、大半が消え失せてしまうだろう。そういうことで、現在、医薬目的の大麻が禁止されているために危難の中にいるのは、我々人間だけではなく、我々のペットも同様なのだ。
 2004年晩春、私はシステムに甚だ幻滅させられた。彼らの愛する者たちが苦しんだり死んだりするのを、彼らは楽しんでいるのだろうか?この薬草の使用に対する彼らの言動を見るにつけ、実際そうとしか思えない。5月下旬、私は自宅の裏の谷に、うまくカムフラージュされた大麻草を大量に植えた。プラントが成熟してくると、とれも素晴らしい最高のバッツが収穫できたので、私はそれをできるだけ早くオイルに精製し、必要としている人たちに配った。
 同じ年の夏、マッカン出身のセシル・ホウに、顔の悪性黒色腫の治療のためオイルを提供した。医療システムは5回の切除を試みたが、再発し続け悪化していた。癌は彼の頬に指先が入るような穴を残していて、患部は炎症を起こし、触るとひりひりした。3週間でオイルはその仕事を為し、癌は完全に無くなった。セシルと彼の周りにいる人たちは、オイルが速攻で癌を癒すことに感激し、強い感銘を受けていた。
 それから彼は緑内障と膝関節炎を患っていることを訴えたので、私は彼に、緑内障の治療にはヘンプの右に出る者は無く、関節炎も何とかしてくれると伝えた。彼を説得する為に、私は自宅に戻り、私がこの件について蒐集した本を持ってきて、彼に情報を見せた。彼は初めこそ懐疑的だったが、オイルがまさに彼の癌を治したことと、私がすでに自分でオイルを内服していることを知っていたので「よし、やろう」ということになった。私がやっているのと同じやり方が、最も効果的なこの薬の使い方だと彼に教えた。オイルを使い始める前は、彼は睡眠をいくらかでもとるために、膝の下に枕を置いて、関節炎の痛みを和らげる必要があった。1ヵ月で、彼の関節炎は消え、枕を使う必要も無くなった。
 彼がオイルを摂り始めたとき、彼の眼圧は31と32で、視力の問題によって運転免許を失効する寸前だった。時間の経過とともに、彼の視力は顕著に回復し、全体的な健康も劇的に向上した。最後に聞いた時には、眼圧は13と14で、現在も健康に過ごしており、自分の車を運転する権利を失う心配も最早ない。加えて、オイルを摂取する前には見ることすら不可能だったたくさんの物を、読んだり見たりしている。
 現実として、私自身を含むたくさんの人が、この薬を使って実際に視力が向上するのを目撃している。緑内障は失明の主な原因の一つであり、たくさんの人がこの病気に苦しんでいて、完全に視力を失い、法的に盲目だと認定される。1800年代から、この病気に大麻が有効であることは良く知られている事実である。にも拘らず、今日の眼科医の多くは、それを無視することを選び、代わりにレーザーや点眼薬で患者を治療している。最終的に不適切で非効率な治療によって、彼らの患者の多くが法的に失明しているのだ。信じられないことだが、ほとんどの眼科医は、患者がゆっくりと視野を失っていくのを見ているだけで、彼らを助けるために大麻を使おうとはしない。恐ろしいことに聞こえるかもしれないが、悲しいかなこれこそが彼らの大多数がしてきたことなのだ。
 セシルの治療後しばらくして、マッカンにいるボーエン病だと診断された女性に、オイルを提供した。この病名は皮膚科領域に、前癌細胞と呼ばれる物を持っていることを意味する。彼女が私の事を知る数週間前、手術が実施され、私が最初に彼女にあった時、彼女はかなり動揺している様子だった。彼女は手術の後、医師達がしたことを検証し、彼らが前癌細胞のあるところ以外をすべて取り除いたことを知った。これを聞いた時は俄かには信じられなかったが、彼女が病理報告書のコピーを見せてくれた。確かに、彼らが取り除いた組織には前癌細胞が含まれていなかった。担当医はこの女性を手術し、彼女の身体を台無しにしてしまったのだ。しかも、本来取り除かれなければならない所を、そっくり残して。その上、今や彼女は、内部が腫上ってきたことで、可哀想に、気も狂わんばかりだった。彼女はオイルを内服し始め、外用薬としても使用した。時をおかず、全ては良い方向に変わり、彼女は再び良好な健康状態を取り戻し、現在もいたって好調だ。
 私はこの時、このオイルの治癒力を異なる方法で使うための実験も多少していた。私はよくスキンクリームや軟膏と混ぜて使ったが、結果は素晴らしいものだった。ある日、私は15gのオイルを大きなスキンクリームの瓶に混ぜて、自分にフェイシャルエステをやってみた。私は洗顔し、クリームとオイルのミックスを塗って、もみ込んで就寝した。翌朝、私の肌は赤ちゃんのお尻のようにすべすべになっていた。長年の間に刻み込まれた皺はすっかり消えて、小さな凸凹たちも一夜にして消え去っていた。私はこの美肌効果に満足したが、男だったこともあり、大した注意を払わなかった。数時間後、私はラリーのところで彼の妻のルビーとコーヒーを飲んでいたのだが、彼女は私を怪訝な顔で見続け、しばらくしてから、わたしに近付いてきて言った「リック、あなたフェイスリフトを受けたの?」私は彼らに何をしたか話し、我々は爆笑した。それでも、彼女は私の見た目の大きな違いにひどく感心していた。
 女性は自分たちの見た目の為に、多額の費用を使うが、ほとんどの部分で、彼女たちが購入する物は価値が無いか、あっても僅かだ。もし世の女性たちが、この物質が彼女らの顔面にしてくれることを知ったら、明日にでも合法化されるに違いない。それからある日私が、母の所に行った際、彼女の手の甲にある老班にそれを塗ってみてくれと頼んだ。しばらくして、健康なピンクの皮膚を残して、それらは消え失せた。一体、このオイルに出来ないことがあるのだろうか?私は本気で疑問に思い始めたのだった。ちょうどこの頃、この物質が有する医薬的価値の真実を、誰も発表しようとしないので、私は新聞に掛け合うことにした。私は2004年晩夏にスプリングヒルレコード新聞のクリス・グッディングに連絡を取り、彼にこの薬が一体どんなものであるか説明した。グッディングはスプリングヒルレコードに私がオイルで何をしているか全ページの記事を書いたが、事実を少し歪めて掲載した。記事では、オイルは地元男性の顔の痛みを癒したことになっていた。
 私はセシル・ホウが彼のインタビューを受けた時、その場にいた。グッディングは癌が治ったと話されたのであり、それは痛みではなかった。私がこの件について彼に連絡すると、彼は、自分は悪魔の代理人(議論の妥当性を試すため、わざと反対意見を言う人)を演じているのだと言っていた。私は、彼が嘘をついており、悪魔と同盟していると彼を詰った。他にどんな理由があろう?おそらく私は、このレポーターにこんなに心を乱すべきではないのだろう。結局のところ、彼は自分が記事を書いている新聞を所有しているわけではないのだ。大資本が新聞社を所有しているのであり、最終的に、彼らが公衆に何を与えるか決定しているのである。
 2004年9月ちょうどスプリングヒルレコードのこの号が出版されてから、私はそのコピーを私が集めた他の情報と、新しく書いた提案書とともに、厚生大臣に新任したウジャル・ドサンジに送った。私は、最低半分だけでも正直な人間と、連絡が付く必要があると思っていた。またしても、何も起こらなかったが、しかし、6ヵ月後、確かに私は厚生大臣からの返事を受け取った。私がしていることは法律違反だとのたまう手紙を。私の周りでは、そこかしこで人々が苦しみ、死んでいるのに、私が彼らを癒すのに法律違反をしていることを通知してくるこの大臣の神経はどこにあるのだろう。好き好んで言う訳では決してないが、ドサンジさん、法を犯しているのはあなたの方だ。あなたは皆がすると期待して投票した仕事をしていない。厚生大臣としてこの案件を検討しなければならないはずだし、カナダ国民を助けるために何かすべきだろう。そうする代わりに、あなたはデスクの後ろでふんぞり返って、指一本動かしていない。
 何年もの間、たくさんの人が、オイルを表すのに、なぜ「不死鳥の涙」という名前を考えついたのか、私に訊いてきた。神話学に興味がある向きの望みを叶えたいところだが、申し訳ないことに、この名前を選んだのはその神話的理由からではない。この名前はある日、私がハリー・ポッターの映画を見ている時に、パッと閃いたのだ。巨大な竜がその牙をハリーに突き立て、我らがヒーローは絶体絶命だった。そこに、不死鳥が飛んできて、ハリーの傷に涙を垂らし、彼は救われた。その時不意に「不死鳥の涙」という言葉が私の口をついて出たのだった。そしてその次の瞬間、ハリーが同じことを言った。私はこの名前が、人々を癒すオイルの黄金の滴にピッタリだと感じた。最初はほとんどの人がこのネーミングを好むとは思っていなかった。しかし、時が経つにつれて、名前は定着し、我々のウェブサイトを立ち上げる時も、それをwww.PhoenixTears.caと命名した。今やたくさんのサイトがPhoenix(不死鳥)という言葉を使っているが、我々が自分たちのサイトを立ち上げた時は、ほとんど、全くといっていいほど使われていなかった。なんだか私がこの言葉の人気を出したように思えてしまう。しかし正確には、たぶんハリー・ポッターシリーズの著者であるJ.K.ローリングの功績だろう。
 ある日、私が過去に、オイルを提供したことがある女性が家に来て、聖書の聖なる塗油について話していた。その話題についてしばらく話してから、彼女は私に訊ねた「リック、なぜあなたはこれをしようと思ったの?」私は即答した「クソ野郎にならないようにするためさ。」彼女はただ私を見て言った「さあ、それはどういう意味?」私は応えて「もし、あんたが癌になったとして、俺がその治し方を知っているのに、あんたに教えなかったら、俺はどんな男だね?」と言うと、彼女は認めて「その場合、あなたはクソ野郎だわ。」と言い、二人で笑った。
 それから私は彼女に訊ねた「イエスはどうだろう?」その言葉に、彼女はポカンとしていた。私は続けて、遠い昔のイエスの時代にも、すでに大麻の薬品の使用は広く普及していたことを話した。もし二千年前、本当にイエスという名前の男がいて、人々を癒していたとしたら、あの医学的奇跡を起こすのに、何を使っていたと考えられるだろう?彼があの偉業を為すのに、大麻を使っていた可能性があるとは考えられないだろうか?もしそうなら、なぜ聖書は彼が使っていた物について書かれていないのだろう。或いは、我々は単純にそれが神の力であると信じるべきなのだろうか?私は全て可能性の話だとして説明した。私は、イエスが助けた人達に対し、何も秘密として隠しておかなかったと思っている。だた、年月が過ぎ、宗教団体で権力を持った人間が、イエスの何百年か後に聖書が書かれた時、真実を隠しておくことが最良だと考えたのかもしれない。そうすることで大衆をより簡単に支配できることになる。私の言葉が暗示したことは、ゆっくりと彼女の心に入っていったようだった。
 私は「お前さん、宗教こそ大麻薬品の使用の道を閉ざしている。最大の障害物の一つなんだよ。」とさらに説明を続けた。もし、私の言ったことを、心を開いてただ受け止めれば、私が示した事実に反論する余地は無いだろう。彼女は私が話したこと全てに浸っており、とても静かになった。その日私の家を去る時、彼女はとても幻滅したキリスト教徒になっていたと言っても過言ではないだろう。ただ私は、彼女がいくぶん物事の真相について、感性が働くようになったと信じている。
 何かを盲信することは、正しいことではない。真理があなたの目の前にある時、どうやってその存在を否定できるだろう。我々の地域ではよく「God will get you(罰が当たるよ)」と言われたものだったが、もし大麻で病気を治療したかどで、神が私を罰することをお望みなら、どうぞそうして下さい。わたしは甘んじて受け入れます。しかしながら、人類を癒し、助けるために地球にこの植物を下さったのは神自身かそれに近い何かではなかったのか?そうだとすると、罰が当たる心配はあまりなさそうだ。
 この薬の治癒力に関する噂は瞬く間に広がり、多くの新顔が玄関のドアを叩いた。当然ここで全てのケースの名前を明かすわけにはいかないが、事実として、私の協力を必要としている患者が不足することは無かった。私が戦っている理想に共感して、今や私の周りには人々の輪が形成されつつあった。彼らの多くは、私と同様にこの植物の治癒力に納得させられた人達だ。彼らはこの自然薬が自身の目に何をしてくれたかも見てきた。まさに百聞は一見にしかず、である。この時点までに我々がした調査は、この薬の全ての作用は、患者に有益であることを示唆していた。まるで、この植物は何も間違えないかのようだった。それにしても、公衆の関心を引くには、あとは何をしたらいいのだろう?しばらくの間、私はこの薬を提供し続け、出来るだけ沢山の人を助けた。いつか近い将来に、その使用に対する認識が全く変わってしまうことを夢見ながら。