不死鳥の涙 ーリック・シンプソン物語ー 第7章

第七章   王立カナダ騎馬警察の再来襲

 2005年秋から2006年冬にかけて、私に助けを求めて来る人は増え続けた。2004年と2005年に新聞に出た記事が、回復に希望の持てない症状をオイル使用に賭けてみたい、と考える人達の注意を引いたのだ。この驚くべき治療薬の成功率は天井知らずで、常識を覆すものだった。実際にそれは誰であろうと、どんな症状だろうと治癒してしまうかのようだった。ただ、こうしているうちにも、カナダでは1時間に8人が癌で死んでいる。世界規模で考えると、どれほどになるのか想像もつかないが、そういった状況の中で、私は司法システムに囚われているのだった。
 このときの私は、この天然のハーブがその治癒能力を認められるまでに、何人の人が死ななければならないのだろう、と憂いていた。こんなことがこれ以上続くのは、納得いかないことだった。自分のしていることに反対の立場をとる人間達が、沢山いることは知っていた。彼らは、ここまで証拠が出揃っているのに、まだ妨害を続けようというのだろうか。少しでも脳ミソがあるなら気付いて然るべきだが、私が発見したことは彼等自身の命を救うことにさえなるのだ。一番萎えるのは、この植物の医薬利用を禁止している人間達自身が癌になったとき、誰がヘンプオイルを探すのか考えることだ。総じて、世の中には小切手をもらうためなら、どんなことでもする人間が腐る程いる。そういう人間達が今まで害悪をもたらしてきたにも拘らず、彼等はチャンスがあればその権威を利用して、大衆を間違った方向へ誘導することに余念がない。
 2006年4月末、私は弁護士に電話して、判決はどうなっているのか尋ねた。彼はそれが延期されていることを教えてくれ、それは検事の弁論書作成が間に合っていないからだと言った。「あまりにも馬鹿げてないか?」彼等には前年の秋から準備期間があったにも拘らず、こうなのだ。この瞬間にも人々は苦しみ、無駄に死んでいるのに。現状、彼等に釈明の余地は無い。カナダの司法システムが、他の残りのシステム同様〝終わっている〟ことに疑問の余地は無い。1ヶ月程して、弁護士が電話をくれ、検察が司法取引を持ちかけていると教えてくれた。彼が言うには、もし私が違憲審査請求を取り下げ通常の刑事裁判に戻り、大麻栽培について有罪を認めるならば、私は無罪放免とみなされ、犯罪歴がつかないことになる。私が応じさえすれば、直ちにこの茶番の全てから解放されるのだ。
 「検察は私に有罪を認めさせることで、私が何か罪を犯したかのように見せかけ、そうすることで、この自作自演を続けられると思っているのだろう。要するに、法律家達は大麻で逮捕された人達を、起訴したり弁護したりして、自分達の懐に金を入れ続けたいのだ。検察は自分達の責任で、どんなに人々が死のうが構いやしない。全ては金ってことだろう。」私は彼等の取引がどんなものか看破して言った。弁護士に、これらの〝犯罪者〟達から持ちかけられた取引には一切応じない、と答えた。弁護士は既に、彼等の計画に私が乗ることはないだろうと、彼等に話してあると言ってくれた。それから彼は私に、違憲立法審査は8ヵ月後の12月に行われる予定だと告げた。裁判システムの言い分は、彼等が他のケースで手一杯であり、その予定日の前に私の審理を開くのが不可能だというものだった。少なくとも私が聞かされたのはそういう言い訳だった。どんなに人々が苦しみ死んでいようと、12月までは、忙しすぎて私のケースに拘っていられないのだそうだ。私と同じ状況にいたとして、司法システムのこんな言い訳を信じる人間がいるとしたら、それはよっぽど間の抜けた人だろう。
 大体この頃だったが、素晴らしい快復例があり、再度この治療薬に地元の人達の関心が寄せられた。リック・ドゥワイヤーの父エドはアムハースト近辺では名士だった。マッカンで何年もの間商店をやっていて、この地域の様々に関わってきた。誰もがエドを知り、彼を好いていた。彼は82才の退役軍人だったが、ここしばらく体調が思わしくなかった。エドは30年間糖尿病を患っており、その他にも数々の病気を抱えていた。ある日、エドの主治医が彼の飲んでいた薬の処方を変えた途端、エドの腎臓は働くのをやめた。彼は病院に担ぎ込まれ診察されたのだが、そのとき彼が肺癌も患っていることが発見された。
 その時までに、エドの息子であるリックは、化学療法には完全に反対していたが、彼の姉は化学療法のおぞましい真実を知らず、エドをモンクトンに連れていき、最初の注射を受けさせた。このただ一回の化学療法で、帰宅したエドの体は風船のように膨れ上がった。彼の肺には水が溜まり、浮腫が酷く、肺が裂けてさえいた。彼はアムハースト病院に救急搬送され、そこで医師にあと48時間の命だと告げられた。状況は芳しくなかったが、彼はなんとか一日目を生き延びた。次の朝、医師はあと24時間だと告げた。リック・ドゥワイヤーは半狂乱になっていた。自分の父親がアムハースト病院で肺水腫に苦しみながら死の床にあったのだ。リックはオイルについて良く知っていたから、私のところに来て、彼の父をオイルが救えるかどうか尋ねた。
 私はリックに「ここまできたら、他に何を失う心配がある?たとえ助からなくても、オイルが逝くのを楽にしてくれるだろう。少なくとも尊厳と共に最期を迎えられる」と諭した。リックは病院に行き、彼の父にオイルを与えることを医者と話したが、医者は拒否し、自分では責任が持てないと言った。リックの父は死の床にあり、絶対的に助けを必要としていたが、医者はそれに応じなかった。リックに残された道は一つしかなかった。
 彼は父親の病室に入っていくと、大量のオイルをクラッカーの小片に載せ、父親に食べさせた。そうして、リックは父親の最期を看取らせるため、二人の兄弟を不寝番にし、病院を後にした。一睡もできなかった彼は翌朝、母親に自分が何をしたのか話すと、母親は息子を逮捕しに警官が来るのではないかと戦いた。後にリックが私に教えてくれたところによると、それはかなりの見物だったに違いない。その朝、彼が病院に行ってみると、父親は丸太のように眠りこけていた。リックの兄弟の話では、リックが病院を去って間も無く、エドの呼吸は正常に回復し、確実に下がっていたバイタルサインも、突如として夜の内に安定したのだった。
 これは亡くなる前に良くあることだと、医者はリックを説得したが、リックは聞かなかった。彼は母親を見据えて言った「父さんは助かる可能性がある。でもそれにはこの病院から退院させなきゃ。」医者はこれに感心しなかったが、エドの家族は退院の手続きをとって、彼を家に連れ帰った。それからリックは父親にオイルを間断なく与えた。病院でエドはカテーテルを留置されていたが、家に帰ってから数日で、エドは不快感を訴え、それを外してくれるよう頼んだ。リックは在宅ケアのナースに相談したが、そうした場合、病院に戻りもう一度同じことをすることになるだけだ、と言われた。彼が父親に放尿できるか尋ねたところ、父親の答えは「イエス」だった。それでリックはナースにカテーテルを外してくれるように頼んだ。事が済むと、エドは800mlの尿をそれほどの苦もなく放出した。彼の尿道は完全に機能していた。
 この時、エドはインシュリンを含めて2ダースの薬を飲んでいたが、リックは父親をこれらの化学物質全てから脱却させようと試みた。それには数週間かかったが、リックはやり遂げた。すると突然、オイルを摂り出してから6週間足らずで、糖尿病をコントロールするためのインシュリンさえ要らなくなった。今やエドはまるで駄菓子屋にいる子供のようだった。30年間の無用のインシュリン治療の末、最早それを全く必要とせず、彼は再び好きなものを食べられるようになったのだ。彼の年齢にしては、エドはオイルに対して素晴らしい許容量を持っていた。治療中の一時期、彼は高濃度のオイルを一日2グラム摂取していたが、それでも友人達とおしゃべりするため、毎日アムハーストに出掛けて行った。エドの快復について他に言っておかなければならないことがあるとすれば、オイル治療中禿頭に毛が生えてきたことだろう。エドはずっと禿げてはいたが、化学療法のせいで残りの髪の毛も大方抜け落ちてしまっていた。オイルを摂り始めてから、彼の髪の毛は生え戻ってきて、元々禿げていたところにも髪が生えてくる兆候をみせていた。またしても、オイルはその数多ある価値の一端を現したのだった。
 エドの奇跡的回復を誰もが目撃していた。彼を死の床から救ったオイルと共に、彼は町で話の種になっていた。エドはこの後持病の心臓病で亡くなるまで15ヵ月間生き延びた。エドは痛みに苛まされることなく、眠っている間に亡くなっていた。ここでもオイルは、その仕事を果たしたのだ。この治療薬が彼に許した数ヵ月の余暇は無駄にはならなかった。彼はオイルについて公言するようになり、この治療薬の素晴らしい治癒効果に衆目を集めるため、我々に協力してくれた。彼は何年も保守党の熱心な党員であり、王立カナダ退役軍人協会に所属していたが、亡くなるときには、自身の目でこれらの団体が何をしているか看破することとなり、どちらとも決別することになった。
 2006年春、我々は国連のステファン・ルイスにコンタクトをとった。この件で接触した他の組織同様、国連も沈黙し何もしなかった。実際、これまでも私は国連に期待していたとは言い難い。彼等はスーツを纏った犯罪者にすぎないと考えてきたからだ。彼等の唯一の目的は、裏で筋書を書いている金持ちや権力者の御用聞きをやることに尽きる。世界のどこかで国連の活動が必要とされる事態が発生するとき、往々にして彼等の反応は遅きに失するか、または全くの沈黙だけである。さらに国連は米国連邦麻薬局(後の麻薬取締局、DEA)初代長官ハリー・J・アンスリンガーと馴れ合っていた。彼は狂信的な反大麻プロパガンダを展開した男である。1950年代アンスリンガーは、大麻草は非薬用であるという国連宣言を得、その後1961年、国連は麻薬に関する単一条約を批准し、加盟国市民の大麻使用を禁止した。私の件について国連が何もしなかったのを見ても、今までの他の重要な問題に関する彼等の言動に鑑みれば、あまりショックはなかった。
 時は2006年5月、今年も苗を植える時期が来ていた。私は〝クローン〟とも呼ばれる挿し木を、8品種の優秀な雌株から1100本作った。2、3週間でそれらは根付き、気候順応した後は、地中深く根を張り巡らせる。私は再び家宅捜索を受けるかも知れないことは分かっていたが、オイルの需要は鰻登りで、選択の余地は無かった。私は連邦警察と、その行動を左右している政府が、この件に関して大人になり、この作物を放っておいてくれるよう祈るしかなかった。
 夏は順調に過ぎ、大麻草は大いに繁茂した。だが、2006年9月6日、連邦警察が再び現れた。私は唖然とした「勘弁してくれよ。こいつ等はいつまでこんなことを続けるつもりなんだ?」当然のごとく、またしても彼等は捜索令状を持っていなかったが、彼等は自分達の行為を正当化する新しい口実を得ていた。今回彼等は〝マリファナ撲滅プログラム〟で、作物を駆除しに来たのだと私に話した。
 〝マリファナ撲滅プログラム〟は彼等が使う、いかにも重要そうな仰々しい名称の一つであり、彼等が法の名の下に、カナダ市民に対して犯罪やテロを働くのに大義名分を与えていた。彼等が単純に人々から治療薬を取り上げるために来ているという現実は、憤懣やる方ないものだ。今回彼等がしていることが、我々の地域の人々の希望と真っ向から対立していることは、完全に疑問の余地がない。リック・ドゥワイヤーは彼等の襲撃の最中に、私を支持する旨の退役軍人支部からの手紙を、連邦警察に見せようとした。しかし彼等は、彼を無視し手紙を見ることを拒み「自分達の仕事をしているだけだ」と言い放った。
 今回は私の自宅は捜索されず、私は罪を問われることも逮捕されることも無かった。彼等は単純に、私が治療薬をつくるための大麻を盗みに来ていたのだ。2003年、2005年と2006年の連邦警察による襲撃の結果として、何千人ものカナダ国民が必要としている治療薬を手に入れられなかった。私が無償で提供していた物を作るのに、必要とされる原料を買えない低所得の患者は、連邦警察のこの活動の代償を自らの生命で支払わねばならなくなった。
 必要とする治療薬を作るために、売人から良質の大麻を1パウンド買う余裕のある人々は多い。そうだとしても、私が関わった大多数の患者は貧しく、必要とされる原料のバッツのために、麻薬密売人に数千ドルも払う余裕は無かった。大抵の場合、そのような人達はまともな暮らしを維持するのに十分な収入さえなく、私が無償でオイルを提供できるときだけ、なんとか彼等の助けとなる治療薬を手に入れられるのだ。連邦警察の行動は、医薬品としてこの物質を必要としている人達を助けることに困難を生じさせること甚だしかった。私は連邦警察官達自身が病気で苦しんでいないのが残念だとさえ思ってしまう。もしそうであれば、彼等は自分達のしていることに大きなジレンマを感じることは間違い無いだろう。
 私が再び襲撃を受けたと言うニュースは瞬く間に広がり、退役軍人協会の地元メンバーや近隣の市民の多くが激怒した。ここに来て我々は、今起こっていることを終らせるにはどうしたら良いか考えた。退役軍人協会134支部の代表と幹部達は地元紙に広告を打った。この広告で彼等は、この治療薬に対する公開かつ公正な調査を要請した。我々は地元の退役軍人協会で開かれることになっていた市民集会に、複数の政治家、医療システムの代表者、カンバーランド保険医療当局、王立カナダ騎馬警察、複数の医師を招待した。
 さらにこの集会に出席し、来場者に対して、この治療薬が自分達の病気にどのような影響を及ぼしたかを説明するため大勢の患者が準備していた。こうして全ては整っていた。すると我々が集会を開こうとしていたその日に、連邦警察を引き連れた海軍会員がマッカンを訪れ、我々の退役軍人協会支部を閉鎖したのだ。我々の支部が閉鎖されて一ヶ月程して、海軍会員により全体集会が召集された。我々全員はその夜の集会に出席した。遂に彼等は、何か行動を起こしてくれるに違いない、と期待して。我々が席に着くと、4人の海軍メンバーが来て、政治とこの治療薬については議論できないと伝えてきた。王立カナダ退役軍人協会とこの組織の代表者達は、我々に、言論の自由の権利を行使させまいとしていた。この〝自由〟が建てた建物のなかで。
 彼等が意図していることは、理解の範疇を越えていた。特に、これらの発言をした海軍会員の一人であるレス・ナッシュは、自分自身の病気にオイルを使用したことさえあり、その効果も知っていた。それなのに彼は、政府と海軍会員がこの真実をカナダ国民から隠すのに、協力を惜しまないのだ。彼のしたことは、彼自身の友人や同国人に対する反逆以外の何ものでもない。彼等の二枚舌と無情な態度に、数分で耐えられなくなった私は、立ち上がって来場者に言った「いいですか。1時間に8人の割合で、癌のためにカナダ人が死んでいるんです。この治療薬が、大勢の人の生き残る助けになることを、我々皆知っている。これを何とかしなければ。」
 彼等の返事は「いつだって人は死ぬもの」だった。遂に、堪忍袋の緒が切れた私は、海軍会員の代表達の面前に立ち、彼等は殺人狂の集団以外の何ものでもないと言い放った。私は、彼等自身が癌にかかっていれば、何か行動を起こしただろうに、とも言った。そしてこれ以上、進展が無いと見た私は、その建物を後にした。リック・ドゥワイヤーや他の大勢と共に。王立カナダ退役軍人協会には何をか言わんや。この国のために戦い、命を落とした男女は、カナダ政府や王立カナダ退役軍人協会が今していることを知ったら、墓の中でのたうち回るだろう。 まあ結局のところ、退役軍人協会はこの件を考慮することになるのだが、それはまだまだ先のことだった。
 これが起こる前、退役軍人協会134支部には130人の会員がいた。今日私の知るところでは、この支部には30人以下の会員しかおらず、永久的な閉鎖に直面している。地域社会の人々は、退役軍人協会が公益のために働いているわけではないことを発見し、支持するのを止めてしまった。134支部の扉を開けておき、全てが平常通りであるとみせかけるため、政府の資産が投入されたのではないかと、私は強く疑っている。しかし、いくらこんなことをしようとも、基金を得るための公衆の支持無しでは、この協会支部の閉鎖は避けられないだろう。案の定、この本が出版社に送られる直前に、私は134支部が永久閉鎖されることになったとの知らせを受けた。カナダ退役軍人協会の本部も、どの支部も我々の権利を守るために活動をしていないことが明らかな今、このどうしようもない組織の業績を我々の記憶から抹消するため、カナダ国民が残りを閉鎖するまでにどれくらいかかるだろうか。
 王立カナダ退役軍人協会が、自由の名の下に苦しんだり死んだりした、私の父をはじめとする大勢の〝本物の男達〟に栄誉を与える振りを続けているのを見ると、虫唾が走る。私や他の大勢の人々にとって、王立カナダ退役軍人協会は詐欺集団であり、解散させられて然るべきである。これから私は、国の為に戦った人達を讃える為のヒナゲシすら、彼らから買うことは金輪際ないだろう、その金が彼らの金庫に直行することを知ってしまったから。私の父自身も、人生を通じて退役軍人協会と関わることは無かった。父は彼らの事を、ビール瓶を取るため以外に立ち上がることのない、クソッタレ共だと、こき下ろしていた。どうやらまたしても父は正しかったようだ。
 少し前に、私はレス・ナッシュが海軍会員の代表になったとの知らせを受けた。彼はリック・ドゥワイヤーに2006年の134支部の閉鎖は本部直々の指示だったことを認めた。どうやらナッシュ氏はその貢献に対して、協会本部から見返りを受けた様だ。私が思うに、今や王立カナダ退役軍人協会が単なる詐欺集団で、そのヒナゲシすら買う価値のない背信組織であることは火を見るより明らかである。
 2006年秋、退役軍人協会の閉鎖はこの問題に人々の注意を引くことにはなった。新聞はまたしても偏見に溢れた記事を書いたが、ついにテレビニュースが介入してきた。グローバルニュース、CTVニュースそれとCBCニュースが同じ日に一斉に私の自宅に押し掛けた。我々は何が起こっているか彼らに説明し、彼らは治療薬としてオイルを使用した人々にインタビューを行った。グローバルニュースのリポーター、ロス・ロードは「リック、これは信じられないことだ。」と言っていた。これに応えて私は「本物の患者が目の前に立っているんだから、信じなきゃならないよ。」と言った。彼らがインタビューした人達は、ハイになりたがっているガキの集まりとは異質のものだった。彼らのほとんどが年配の市民であり、この驚くべき治療薬を使用するまでは、病気で酷く苦しんでいた人達だった。
 3つ全てのテレビ系列が数日以内にニュースでリポートし、グローバルに関しては、二日後に全国ネットのニュース番組で放送した。予想に違わず、彼らは視聴者に、本来放送すべき患者へのインタビューを見せなかった。そうする代わりに、退役軍人協会の閉鎖に主眼をおき、マリファナが薬か脅威かという、私に言わせれば、ただの扇情的な戯言を展開した。だが少なくとも、我々が何に対して戦っているか、全国的な関心事にすることができた。治療薬を求めて人々が列をなしてやって来たので、私は「やっと終わりが来たんだ。我々についての報道を見て、誰かがこの状況を何とかしてくれるに違いない。」と考えた。ニュース報道から1ヵ月後、テレビ番組のW5からEメールを受け取った。そこには単純に「証拠はあるのですか?」と書いてあった。我々は返事のEメールで、1年半前に送ったビデオテープを見るように伝え、それで満足できなければ、私が患者を紹介するからリポーターを送ってよこせばいいと送信した。W5からはその後一言も無い。
 2006年のクリスマス前に、グローバルニュースが再訪し、この話題についてもう一つのリポートを収録していった。リポーターがいる間に、私は彼に、このような話を報道しようとするときは、多くの壁に突き当たるのだろ?と尋ねた。彼は、私が何を意味しているのか分からない、といった表情で私を見ていたが、数時間後電話してきて、私が話していた壁が何のことか分かったと言った。彼が言うには、素晴らしい番組ができたのだが、お偉方にボツにされたということだった。彼はとてもすまなそうに、全力を尽くしたがダメだったと伝えてきた。彼の喋り方から察するに、記事がボツにされ自分を雇用しているニュース機関に愛想を尽かしている様だった。
 2006年秋、カナダで総選挙が行われた。来る選挙でこれを争点に立候補すれば、大衆を目覚めさせることに資すると考えられたので、必要な書類を準備して、所定の当局に提出した。今や私は、癌と他の病気を大麻精油で治癒させるという争点で立候補した、無所属の立候補者となったのだ。私の立候補事由は全てのカナダ人の健康と日々の生活に関係があるにもかかわらず、ニュースメディアは私をマリファナ合法化だけを目指す単一争点候補として印象付けようとしていた。
 選挙戦の最中、何度か演説することを許されたが、人々は不信を露わにして座っていた。私が話していることには全然異議が出なかったが、私の声は人々の心に届いていないようだった。全ての候補者は等しい時間を与えられなければならないはずであり、選挙キャンペーン中は公平に扱われるべきであるのだが、私の場合そうではなかった。選挙期間中、演説会場に呼ばれなかったこともあり、そこに行くと無視されることさえあった。これらのイベントを催している人間達は、無所属の候補者は政党の代表者と同じ権利を持つ資格が無い、と思っているかのようだった。結果として、この政治討論会なるものを主催した人間達の行動が、私のマニフェストを有権者に明らかにするのを不可能にした。
 私は524票しか得票しなかったので、選挙でうまくやったとは言い難いが、私の存在が波紋を呼んだのは確かだ。私が選挙戦を戦ったビル・キャセイは私の支援者達に「マッカンで癌の治療薬が発見されたなんてことを私が信じると、あなた達は本気で期待しているのかね?」と言い、選挙キャンペーン中に、キャセイ氏はこの争点に関する「腐敗と無知」を惜しげもなく開帳したが、これは他の追随を許さぬものだった。また残念ながら、この選挙の他の対立候補者達は、ほとんどの部分で、これよりましだとは言い難く、私が表出させようとしている事実の重要性から目を背けるだけだった。政治家達は彼らが代表する政党の利益のためならどんなことも厭わない。私は選挙期間中、彼らが自分達の品位を貶め、様々なレベルの欺瞞を働くのを目撃した。選挙キャンペーン期間中、キャセイ氏は幾度となく、マリファナの捏造された害悪を触れ回っていた。我々が話した2つの場所で、マリファナ依存になった子供を持つ、40人以上の親達の家を訪ねたことがあると、聴衆に話していた。彼はこの植物の破壊的な性質についてドクター・ドリトルのようにしゃべり続けた。これら全ては、もし真実だったとしたら、それ自体そこまで悪いことではなかったかもしれないが、このほんの数年前に、政府自体がマリファナに依存性が無いことを、最終的に認めるに至っていた。だとしたらキャセイ氏はどうやってマリファナに依存した子供を持つ親にインタビューできたのだろうか?彼の政府がそういうことは無いと言っているにも拘わらず。彼は観客受けを良くする為に、真実を少しばかり誇張したのかもしれない。観客は既に大麻草が有害であると十分洗脳されていることでもあるし。さらに言うと、この時までにキャセイは、オイルが効くということを、直に知っていたはずである。私は彼の旧知の友人を成功裡に治療していたのだから。しかし結局のところ、大衆は自らの英知をもって、キャセイを圧倒的多数で再選させ、次の任期を与えたのだった。
 2006年のクリスマスの直前、ちょうど選挙期間中に私の違憲審査訴訟が行われた。私の弁論がついに聴取されたのだ。ところで、カナダには、マリファナアクセスプログラム(大麻許可制度)として知られるものが存在している。しかし現実には、このプログラムの実態は、政府が大衆に自分達が実際に行動していると納得させるための、有名無実な茶番企画である。主に癌や多発性硬化症などの、深刻な病気を抱える少数の患者だけが、許可証を得ることができ、大麻を栽培し使用することが可能となる。しかしながら、カナダの法律には、患者が樹脂を集めたり、オイルを精製したりするのを許可する条項が無い。これはそれらの物質が、規制対象薬物と考えられているからである。患者に許されているのは、植物自体を喫煙することだけか、または、それを砕いてクッキーに入れることだけである。当然のことながら政府は、これらの方法が深刻な病気を抱える患者達に対し、多少の効果しか無いという事実に気付いており、またそれがため、患者達が合法的にオイルを精製するのを妨げているのだ。
 私の違憲審査訴訟で、司法省から来たモニカ・マックウィーン検事とダグ・シャトフォード検事はマリファナアクセスプログラムの代表者達を証人喚問に召喚した。そこで彼らは、私の病態は彼らのプログラムの適用範囲外で、申請したとしても拒否されるだろうと証言した。これにより、本来苦しんでいる人を助けるためにあるはずの、このプログラムなるものが、私にとっては、悪い冗談以下のものだと証明された。私が会った医者の誰一人として、申請に必要な処方箋や書類を提供してくれなかった。私は申請することさえ叶わなかったのだ。このとき私は、この植物を医薬目的で使用する権利を得ていた他の患者から、ペインセンターが権利取得の過程で助けてくれたという話を聞いた。それで私は、ハリファックスのクロニックペインセンター(慢性疼痛センター)に行ったのだった。私は大麻を合法的に使用したかったので、彼らに連絡したのだが、予約を取るまでに21ヵ月待つ必要があると告げられた。当時の私の様な症状をもつ人間が、彼らの治療のためにそんなに長く待てるかどうか、ご想像にお任せしよう。それからしばらくして、私が聞いたところによると、この予約待ちリストは長くなるばかりだそうだ。これは2001年に医療システムが、他にできることがないと私に告げてから、ほんの短期間の内に起こったことである。結局のところ見て分かる通り、私は自ら進んで法を破ったわけではなく、生き残るための選択肢がそれ以外なかったために、彼らに犯罪者と呼ばれる存在になったのである。
 これがカナダにおける、深刻な健康問題を抱える患者の取り扱い方なのだ。そしてこれこそ私が、大麻所持許可書の申請を、考えることすらやめた理由である。私は政府の茶番に付き合うのには辟易していたし、彼らがそれを続けたいなら、どうぞ他でやってくれ、と言いたい。そして、許可証を持つ人間はそれを政府に突返して、これ以上彼らの下らないゲームを続ける気は無い、と言ってやるべきだ。私の違憲審査訴訟が行われている時分、大麻の薬用使用者として登録されているのは、カナダの人口3千万人以上の内800人しかいなかった。この数だけを見てもマリファナアクセスプログラムが、単なる目眩ましだと感付くのには十分だろう。カナダ政府は、情報を与えられていない大衆の目に、彼らの政策の見栄えを良くするために、このプログラムを採用した。しかし悲しいかな、現実にはこのプログラムは彼ら自身を助ける以外に助けにはならず、彼らの政策は単純に巨大製薬企業の利益を守るものでしかない。
 世間が注意すべきもう一つのトピックは、カナダ政府によって患者達に供給されるマリファナの品質の低さである。もし患者が望むならば、彼らはポットを1オンス28.34g当り150ドルで直接政府から買うことが出来る。これには税金がかかるので実際は172.50ドルで、1ポンド453.59g当りだと2760ドルとなる。政府が供給する物を試した患者は、それらを使うことすらできず、支払を拒否している者も多い。
 私が最後に聞いた話では、カナダ政府は大麻を受け取った患者達が支払いをしないので、何千ドルもの損失を出していると公言していた。しかし現実には、地元の栽培者から、断然高品質な大麻をより安く購入できるのだから、どうして彼らを責められようか。ノバスコシアのような田舎でさえも、最高級の薬用大麻を1ポンド2400ドルで手に入れることが出来たし、聞くところによると、同時期のブリティッシュコロンビアでは1500ドルで手に入ったそうだ。要するにカナダ政府は、薬用的大麻の使用者に対してクズの様な低級品を、破格の高値で売り付けていたのだ。彼らは自分達が大麻を供給している患者に対して、助けてあげようという思いやりなどもっておらず、彼らが請求する突拍子もない金額は、一体誰が本物の麻薬売人なのか疑問を投げかける。
 私の違憲審査訴訟中、これらは盛んに議論されたが、彼らは衒学的法律論争に終始し、最終的に裁判官は私が提供した宣誓供述書を〝逸話的〟事例証拠だとして却下した。彼はまた、私が命に関わるような病態であったとは、証明されていないとも言い放った。彼によれば、5千年もの間、薬として使用されてきた植物と、その使用が効果的であると証明する患者の誓言済みの宣誓供述書が〝逸話的〟なのだ。その上、この裁判官は、癌と脳震盪後症候群を明らかに命に関わるとは考えていないのだ。察するに、彼は単に知らないのだろう、カナダで毎日200人にのぼる癌による死者の、相当数が皮膚癌で死んでいることを。また、私の血圧に大きな悪影響を及ぼした脳震盪後症候群は、私の生存を簡単に危険にさらすものであったことを。本当に理解に苦しむのだが、この裁判官は医者でもないのに、なぜこのような決定を下す権利を有していると考えているのか。もし仮に医学的素養があったのだとしても、どのようにしてこんな結論に達したのか、私はその神経を疑う。裁定における彼の言説が、あまりにもデタラメだったので、私は裁判記録を取りに裁判所に行った。彼等が言うには、記録は音声テープの形で60ドルだった。私がそれを聞いてみると、裁定における彼の言説はそこに無かった。私は裁判所にとって返し、私が支払いをした裁判記録の完全版を要求したが、彼等はそれを私に提供することを拒んだ。世間に対し、判事が言ったことを再生されたくない誰かが、彼のために揉み消したようだった。
 この状況を最も良く言い表している言葉は「いいようにしてやられる」だろうか。しかし、してやられているのは私だけではなく、誰もがそうなのだ。カナダには憲法が保障する権利と自由がある。カナダ人として憲法上、生存権が認められている。ヘンプオイルは植物由来の無害で依存性の無い治療薬であるが、カナダ政府はその司法権で、私のような人間が、これを治療目的で使用することを否定する権限が、自分達にあると考えているようだ。しかし本来私は、この治療薬を使用するための許しを得るために、違憲審査訴訟などしなくてもいいはずだ。憲法には生存権がはっきりと明記されているのだから。
 それにも拘らず、金持ちのエリートや政府、法律家、医療専門家や製薬企業等の行動指針を前進させるために、私のような人間は、自分達の権利が支持されるかどうか、司法システムを通して確かめることを強制される。当然のことながら、全ては利益が出るからなのだ。弁護士達はサービスの対価を顧客に請求することに、無上の喜びを感じているのだろう、しかし、本来それは必須のものですらないのだ。私の憲法審査訴訟を通して見えてきたことは、明らかに司法システムが政府と癒着している事実であり、ほとんどの場合、それが政府の意向に追従するということだ。このような深度の腐敗とやりあって、正義を得られる望みが我々にあろうか。これは私達が裁判所に入る前から、結果が決まっている出来レースであって、我々が勝つ可能性など微塵もないのだ。要するに、司法システムで働く人間達は皆、世間に対して確実に悪意を持った犯罪者達なのか、それとも、カナダ憲法の人権と自由は、それが記してある紙ほどの価値もないのか、そのどちらかである。
 2007年冬、私は再び法廷に出頭した。彼等は私に、望むならば違憲審査訴訟の判決に対し上告できると伝えた。私は「意味があるのかね?この植物の薬用価値の真相が大衆に届くのを、あんたら自身が邪魔しようとしていると、判りきっているのに。」と返したが、それが事実であることが、明白だったとしても、私が言ったことは捨て置かれた。彼らに、ノバスコシアの最高裁に上告する私の決定を伝え、陪審員制度の適用を申請した。その上で、私の裁判を取り仕切る判事の交代を要求した。これまで私の裁判を担当してきた判事を全く信用できなかったから。その判事の反応から、彼が私の申し立てを、直接的な侮辱と取ったことは確実だったが、それを招いたのは自業自得であろう。真実を聞くことで、彼の信仰は本当に傷付いたようで、話し方もどこか、しどろもどろになっていた。だが、どのみち最終的な結果は変わらなかった。私の申し立てがやっとのことで受理されたとき、進行役の判事は相変わらず彼だったし、検察官も全く一緒だったのだ。
 2007年5月、地元で応援してくれているスティーブ・リッジウェイが、アムハーストにいる彼の友達のクリスチャン・ローレットにドキュメンタリーをやる気が無いかと訊いてくれた。スティーブはクリスチャンに私が何者で何をしているのか伝えた。2007年5月15日、彼はスティーブと共に私の家に来て、数時間の間私と過ごし、話の全容をつかむため、何が起きているのか見ていった。クリスチャンは疑わしげな表情を浮かべつつ、静かに座って私が友人とオイルについて話していることをメモしていた。彼はそうしている間中、椅子の上で何度か体を動かしていて、痛みに顔を歪ませていた。来客が全員去ってから、クリスチャンは私を見据えて、これは俄かには信じがたいことだと言ったが、そうしている間にも、彼は身じろぎし、顔には痛みの表情を浮かべていたから、どこか悪いのは明らかだった。そこで私は、何が原因で痛みがあるのか訊いた。彼は自分が脊柱側弯症であることを明かし、それがどんなものか知っているかと訊いてきた。私は彼の問題が理解できると伝え、医療システムが治療として何をしたか聞き出した。
 彼によると、数年前まだ十代の頃に転倒して怪我を負い、それが原因で腰に問題を抱え、ここ数年間痛みに苦しんできたらしい。クリスチャンは手術を望んだが、担当医は術後、歩ける確率は五分五分だと告げた。その確率の低さと、専門とする外科医の不足から、彼は自分の病状がもたらす苦痛と共に生きていくという決定を下した。彼は処方薬も色々試したが、全く楽にならないか、無いよりはましといった程度だった。彼によると、これらの処方薬の副作用で、気分は最悪になったが、痛みが消えることは無かったそうだ。
 クリスチャンが、このオイルは彼の医学的問題に対して何か助けになるかと、訊ねてきたので、私はオイル以外に、彼の苦痛を緩和しQOL(quality of life、生活の質、心と身体の幸福感)を向上する期待が持てるものを知らないと答えた。私の言葉を聞いた時のクリスチャンの顔には、猜疑心が見て取れたが、それは今まで私が会った他の患者が、最初に見せてきた表情そのものだった。オイルが入った針無しの注射器を取りに行き彼にそれを与えて、ごく少量から始め、8時間ごとに服用するよう指示した。翌日、クリスチャンは興奮気味に電話を寄越し、オイルが彼の腰に及ぼした効果について語り、実際にドキュメンタリーに取り掛かると言ってくれた。彼の報告では、最初の摂取から5時間で彼の腰痛は消え去った。彼は、こんなに嬉しいことは今まで無い、と言っていた。
 数日後、ドキュメンタリーのビデオ収録の詳細について話し合うため、クリスチャンが訪ねてきた。開口一番、彼は興奮した様子で訊いた「このオイルに脊柱側弯症が治せるってことなのかい?」私は笑って、彼に座るよう促してから説明を始めた。彼が苦しんでいた症状が、背中の筋肉を鍛えるための運動を妨げていた為、彼は充分な筋肉を背中に構築することができず、それが彼の腰痛の原因となっていた。オイルを摂ることで、治癒が起こり痛みは消失したが、最も重要な効果は、彼が必要としていた筋肉の束を鍛えられるようにしたことなのだ。彼は医師から、腰部に炎症が広がっていると言われていたが、ヘンプオイルは天然の抗炎症剤として最高の物であることを彼に説明した。
 私は彼に、オイルを摂り続けるよう指示し、オイル無しでも大丈夫な時間が、長くなって来るだろうと告げた。実際にその通りとなり、健康で有用な人間に回復させてくれたことで、クリスチャンはこの治療薬に大いに感謝することとなった。何年もの間、クリスチャンは酷い腰痛で、何度も床にうずくまらなければならず、殆どの時間を激痛の中で生活してきた。今や彼は、オイルの使用によって再び正常な状態で人生を送ることができるようになった。これが、ドキュメンタリー『Run from the Cure 治癒からの逃避』を制作した男との邂逅だった。彼以外にこのドキュメンタリーをうまく仕上げられた人間は考えられないから、この出会いは私にとって僥倖だろう。クリスチャンはこの薬を使った多くの人達に会い、インタビューをした。今では私と同様、この素晴らしい治療薬に対して完全な信用をおいていた。
 2007年夏、私は森に帰った。裏庭の作物が警官達に引き裂かれるのを見るのに、うんざりしたからだ。私は最善を期待して、彼らが発見できないような場所に、プラントを植えた。このような栽培環境で、良い収穫を得るのは非常に難しい。この頃私は世間と関わらなければならないことが多く、忙しすぎて、プラントの世話をする時間が余り無かった。森の中の隠し畑で野菜を育てると、収穫はかなり限られたものとなる。私は、必要とされる原料を得るために、他の供給源が必要になると分っていた。幸いなことに、私のしてきたことに賛同してくれる多くの栽培者達は、私が必要としている大麻を供給してくれることを厭わなかった。これらの供給者の多くは、貧乏で金が無かったので、彼らの努力に見返りを支払わなければならなかったが、そうだとしても、私は彼らのことを有難く思っていた。彼らが供給してくれる大麻のおかげで、多くの人が苦しみから救われるのだ。
 オイルを作るための原料を自分で栽培できて、収穫が得られている限り、私はオイルを無償で提供し続けた。しかしながら、需要は大きくなるばかりだったので、患者が自分で必要な大麻を購入するか、栽培するかしないと間に合わない状態だった。多くの場合、人々はこっそり自分で育てたバッツを手に、うちの玄関をノックしたものだった。こういう自助の意志がある人達と一緒に作業することは非常に楽しいものだ。そして、患者達が自分で栽培できるように、私は何万個もの種を配ったのだった。
 患者が自分の大麻を持参したとしても、私は彼らが必要とするオイルを作るための、自分の労力、時間、溶媒、電力は請求しなかった。もし、癌の治療を完遂するための平均的な量のオイルを精製するために、地元の栽培者から大麻を購入するとなると、通常2400ドル程かかる。だが、製薬会社が〝治療薬〟と呼ぶ代物を患者に提供し、どれほどの代金を請求するか考えれば、本当に効果のある最高級のオイル60gの原料に2400ドル払うことは、良い買い物だとしか思えない、自分の命が掛かっているときは殊更に。
 この時までに私は、このことについて製薬会社の果たしている役割を完全に意識するようになっていた。過去に彼らが提供してきたもの、または彼らが広く実践してきたことをみるにつけ、私に言わせてもらえば、彼らのしていることは人間性に対する犯罪であるというのがピッタリだ。1800年代と1900年代初頭には、今日も存在している巨大製薬企業の提供しているもので、大麻を原料としているものが複数存在していた。私の理解では、1900年位まで、世界規模で生産される薬剤の結構な数が大麻から作られていた。製薬会社はその商品の原材料として大麻草を多用していたのだ。Eli LillyやParke Davis、Squibbなどの多くの会社が何十年もの間、大麻製の薬を販売していた。
 この時代、製薬会社にとって種々の薬草や植物から精油を製造するのは、一般的な製薬工程だった。歴史を遡れば、大麻が医学的に素晴らしい特質を備えていることは、常に知られており、地球上で最も広範囲に使われている薬用植物であった。単純にこの時代の薬局方を見れば、この事実はハッキリと確認できる。実際にそれは大麻の記述で溢れており、数百に及ぶ病気の治療薬としてリストに記載がある。当然のことながら、これらの会社は大麻草から精油を製造していたのだが、ここからが大事なところで、これらの会社がオイルを精製していたとすると、それは私が人々を治療するのに大成功したのと、同一の物質であるはずなのだ。
 我々は本当に、これらの製薬会社が、その資産や研究者、研究所をもってしても、この植物の真の医薬的価値を発見できなかったと、信じるべきなのだろうか?私にさえできたというのに。不思議なことだが、これらの会社が大麻草の精油そのままを、公衆に供給していたという記録を、私は一つも見つけることができなかった。彼等が供給していたのは、効果を薄められた大麻薬品だったのだ。彼らはその薬品の効力を調整して、大衆が手に入れられる物が、制限された医薬的効能しか持たないようにコントロールしてきたのだ。ではなぜ、その時代の製薬会社達は、こんな厭らしい真似をしていたのだろうか?そこには三つの大きな理由がある。
 一つ目は、大麻が植物であるため、特許が取れないという理由だ。特許が取れなければ、金もとれない。それで、興味が無くなった。二つ目は、その時代の農家はどこでも自由に大麻を育てていた。もし、農民達がこの自然由来の奇跡の薬を、すでに自分達が育てている植物から、自らの手で作れると知ったら、製薬業界はどうなるだろうか。皆が自分達で使う薬を、それぞれで作ったら、製薬会社は商売上がったりである。これこそ製薬業界が気付いていたはずの事実なのだ。三つ目は、このような企業が上げる収益を考えてみれば自ずと明らかになる。もし彼らが実際に人々を治す薬を売り出したとしたら、リピーターを狙ったビジネスは成り立たない。結果として高品質の大麻製剤を売り出すことは論外なのだ。彼らの利ざやが失われてしまうのだから。
 その時代の技術レベルであっても、このようなオイルの製造は可能であったことは確実であるから、彼らには弁解の余地は微塵もない。製薬会社は自分達のしていることをちゃんと知っていることが、私には一目瞭然だ。彼らがこの薬剤に対して邪魔立てしなければ、癌の治療法ひいてはその他すべての病気を緩和したり、治癒させたりする治療法を、我々は150年前には手にしていたはずなのである。製薬会社には、大麻の治癒能力について知識が無かったと言い訳する権利はあるだろう。だがそうすると、何年もの間、彼らがこの物質の真実を見逃す為に、博士号を要求し続けたことは愚の骨頂となる。これらの製薬企業と、その所有者である者達が、大麻の薬用を禁止するのに大きな役割を果たしてきたという現実に、そろそろ世間も目覚めるべきなのだ。
 今日、その時代と同一の製薬会社がアロパシック(逆症療法的)な薬剤を製造販売しており、それらは化学物質や毒物由来のもので、彼らが売りつけるものの多くは肝毒性がある。これは肝臓にとって毒となるという意味だ。このような薬剤が害悪を及ぼすように設計されているのが明白であっても、これらの企業はよく意味の分からないゴタクや製薬用語で人々の心を安心させようとする。我々がしょっちゅう耳にするのは、彼らが販売している薬剤は二重盲検法で大規模に精査されているということで、プラシーボ効果云々がこれに続く。
 彼らが人々に対して言っていることは、彼らの商品を買う人間達に、自らが提供する治療薬と呼ばれる代物が、効果的で安全だと刷り込むための、ナンセンスに毛が生えた程度のものに過ぎない。本当のところ事実は正反対であるのだが、それでも人々はこれらの有害な物質を買い続けるのだ。それが助けになるかもしれないという盲信によって。もし、FDA(米国食品医薬品局)が製薬会社と癒着していなければ、彼らが製造販売している商品の多くは、市場に出回ることさえ許されないだろう。ここまでくれば、賢明な読者諸氏には製薬産業の真実が見えてきたことと思う。そして、なぜ彼らが大麻を禁止されたままにしておきたいのかも。
 歴史上の偉大な思想家や政治家が大麻草の栽培者であり、使用者でもあったことは、良く知られている事実である。ジョージ・ワシントン、トマス・ジェファーソン、エイブラハム・リンカーン、その他大勢の〝建国の父〟達が大麻を育て、大麻を喫煙し、それで得られる娯楽や創造的な活動に興じていた。今日ではポットヘッド(大麻常習者)と呼ばれるはずのこれらの偉大な政治家達は、同時にアメリカ独立宣言や米国憲法などの文書も作成したが、これらの原本は大麻製の紙に書かれている。これらの文書から察するに、大麻に対する曝露は、彼らにとって全く弊害が無かったばかりか、彼らの思考能力を少しも障害しなかったことが見て取れるだろう。個人的利益のために大麻の使用を根絶しようとした輩達が「マリファナ」という言葉を使い始めた当時、農家や一般大衆はマリファナが何を指しているのかさえ知らなかった。「マリファナ」や「ハイになる」といった言葉は大麻に悪評をつけるために用いられ、その薬用目的と娯楽目的の使用に対する大きな恐怖を大衆に植え付けた。
 システムが使ったプロパガンダと恐怖戦術によると、マリファナは危険で致死性のある新型ドラッグであるというものだった。マリファナは単に効力のある品種のことであり、マリファナという言葉は、世界中で400を超える大麻、大麻草の俗語的表現の一つに過ぎない。マリファナはドラッグではない、それは単に大麻草の形態の遺伝的差異であり、薬用に堪える樹脂を多く産し、治癒を行うカナビノイドを高い割合で含有している。システムによるマリファナという言葉の誤用は、確実に当時の大衆を困惑させ、自分達の目的の為に、その栽培と使用が禁止されるのを望む者達に道を開いた。これと同様に、彼らは恐ろしい「ハイ」について大衆を恐怖させることにも成功した。特定の形態のこの植物を喫煙することで得られる効果であるが、大抵の場合、人々は「ハイになる」とはどういうことかさえ知らなかった。ハースト出版の新聞記事によれば、陶酔し「ハイになる」ことは人間ができるもっとも自己破壊的行為であるのだそうだ。以上の全ては、大衆を欺く為に考案された嘘の塊であるが、当時の人々は自分達で真実を見出す方法が無かった。
 現在まで、この素晴らしい植物の使用禁止を望む者達の嘘と誤魔化しによって、何億人、何十億人もの人が苦しみ、無用の死を遂げている。ここで事実を明らかにしておくが、大麻で陶酔することは公衆にも、薬用目的で使用している患者にも、害悪になることは無い。もしこれが真実でないならば、歴史を通じてこの植物の破壊的性質に関する報告が、数え切れない程存在しているはずである。この植物がもたらす陶酔感は、これを使い始めた患者に休息と睡眠を提供する。睡眠と休息は治癒の過程において重要な要素であり、この〝ハイ〟こそが鎮痛作用の正体であり、他の素晴らしい治癒効果をもたらすのである。
 歴史は大麻が、人類の知る最古かつ最も安全な医薬品であることを物語っている。それは大麻が非依存性であることも我々に教えている。現実には、この植物が公衆に危害を与えたことなど一度も無いのだが、巨大資本家の多くにとってはとてつもなく大きな脅威だった。これこそ彼らが、薬用をはじめとする様々な大麻使用を禁止してきた理由なのだ。製薬会社が作る薬剤や、街角で売られるドラッグやアルコールと違い、大麻は無害で依存性が無い。これらの危険なドラッグと大麻の間には類似性が一切ない。事実、大麻はこれらの薬物による、深刻な依存症に苦しむ人々の治療にさえ使われているのだ。この無害な植物の効果を、一般的に使われている化学物質由来の薬物のそれと比較しようとすることは、真水を致死性の毒と比べるのと変わらないだろう。今日人々が、ハイになろうとして使用している薬物の多くは、毒性が強く依存性があり、身体に破壊的な影響がある。
 市販薬や処方薬、アルコールやその他の非合法薬に依存している人間を見るだけで、これらが毒物による陶酔であることが分かる。大麻のもたらす陶酔が、これらの危険な毒物がもたらす陶酔と比較できると、誰が言えるのだろう。一般的な人はヘンプオイルに対して非常に早く耐性が形成される。結果として、私のようにオイルを服用することに慣れている人間にとっては、彼らが「ハイ」と呼ぶ状態になることすら、最早非常に稀なことなのである。今では大麻を吸っても大抵の場合、目が充血することも無い、暫くの間この薬物を使用していない場合を除いてだが。また、私はどのような形の障害もあるとは感じていない。
 大量のオイルを摂取したとしても、その効果は私を布団の中に数時間入れておくだけで、起きた時に悪影響が出ていることも無い。私の体調と身体に有益な効果を及ぼす最適な量だけが、体の中に残るのだとしか言いようがない。その上、オイルの使用により、私はどこか自分自身に対してより穏やかになり、周りにも柔らかく接することができる。強力なインディカ種の大麻がもたらすハイは、治癒の過程を促進するために必要なものであり、そうすると、大麻草の精油を治療として使うということはハイになるためではなく、治癒されるためということになる。一度オイルを摂取することに慣れてしまえば、この無害な物質を治療薬として使用しているかどうかさえ、他人には分からなくなる。
 医療システムは何十年もの間、我々に予防医学の必要性を説いてきた。ここにその役割を果たすのに最適な治療薬があり、その使用は全ての年代にとって安全なものだ。子供でさえも重篤なリスク無しに、この薬物を使用することに利益がある。システムは何年もの間、子供から大麻を遠ざけなければならない、と我々に教えてきた。その一方で、医師が子供達の体を化学的毒物で満たすのは良しとしてきた。そして実際には、1980年代にメラニー・ドレハーによって行われた調査で、この地球上で最も健康な赤ん坊は、大麻を沢山使っているジャマイカの母親から生まれていることが判明した。
 もし大麻が、子宮の中の胎児に害を及ぼさず、実際に胎児の発達を促進するのが明白だとしたら、大麻草から作られた治療薬が全ての年代の子供に有益であると言えないだろうか?もし、この治療薬が適切に使用されれば、癌や糖尿病をはじめ、他の多くの病気が発生することすら予防できる。あなたに愛する人がいて、その人が病気で苦しんでいるとしたら、治療薬としてどちらをとるだろうか?毒性の強い依存性の化学物質か、その人の症状を癒し、緩和できる無害で非依存性の自然薬か?また、ここまで私が説明してきたこと以外にも大麻にできることがある。それは子供達と親とを繋ぎ直すことだ。もし、子供達と一緒にいる者達が、これに対して正しい道を行けばであるが。
 今日多くの親が、子供達のことに全体的に疎くなっていて、子供達とコミュニケーションを取ることができないと感じ、大きな不満を抱いている。あなたが十代だったころ、あなたが通った道は、両親のそれと似ていたはずだ。あなたは自分の考え方について彼らが全く理解していないと感じていたのではないだろうか。親というのは、この段階の子供達の発達に、大きな心配を抱いているものだ。友達からのピアプレッシャー(同輩集団圧力、仲間からの断れない誘い)がしばしば子供達を危険な道に誘い込むからだ。今日巷には、ハードドラッグ(メタンフェタミン、コカイン、ヘロイン等の強力な麻薬や向精神薬)や処方薬のような危険な薬物が溢れていて、何が起きても不思議ではない。そんな中、どうやたら彼らを守ることができるのだろう?
 最初にしなければならないことは、繋がりを再構築することだ。この時彼らに敵だと認識されるとうまくいかない、反抗の火に油を注ぐことになる。どうにかして、あなたの演じている役割に対する、彼らの態度を変えさせなければならない、そうすれば彼らは親としてだけでなく、友達としても見てくれるだろう。こうすることで、彼らは自分達の問題や心配事をオープンに話せるようになる。大麻は無害であり、ハードドラッグの使用に導くことも無いのだから、親によっては子供との仲を取り戻す、素晴らしい方法となるのではないだろうか。
 単純に彼らとジョイントを吸うか、オイルを少量飲むことで、悩み多き思春期の子供達の親を見る目はがらりと変わるだろう。突如として、あなたは彼らにとって信用置ける人間となり、気軽に話せるようになる。これにより親達は、子供達に必要とされる指導を与える機会も得られる。薬物乱用やその他、彼らが直面する危険な事に関する議論は、怒鳴ったり、叫んだりすることなく理性的に行われるようになるだろう。社会が今まで狂ったプロパガンダによって嘘をついてきた大麻の使用について、オープンに会話することができれば、子供達も彼らの親が敵としてではなく、助けるためにいるのだと気が付くだろう。
 最近でも「今日手に入るマリファナは、あなた方が若い頃吸っていた物とは全然違う。断然強力でより危険である。」という戯言を我々は耳にする。我々に与えられてきたこのような言説は、ハッキリ言って馬鹿馬鹿しすぎるもので、こう尋ねるしかない。「誰がこんなもの書いたんだ?」全てのケースで、私が提唱したとおりにはいかないかもしれないが、この状況にある多くの親達に、実際に効果があったのは確かである。ここにきてやっと真実が日の目を見ているのであり、我々は新しい理性の時代へと進んでいるのだ。私が言っていることに対して、少なくとも真剣な検討がされるべきだろうと、私は考えている。自分のものの見方を強要するために、子供を叩いたり、虐待したりする必要はもう無い。今、この素晴らしい植物を使うことで、自分達の愛する子供達に、正しい価値観が染み込んでいくのを見るための、分別のある新たな選択枝が親達にもたらされたのだ。
平均的な人は、薬について本当のところをほとんど知らない。大概の人にとって、薬学は深淵な専門性の分野で、高度に訓練された博士号持ちにしか理解できないといったイメージだろう。もしあなたが、このオイルを作り始めたなら、現実はそうでもないことを知るはずだ。大麻を育てることも、この素晴らしい治療薬をつくることも、基本的には誰でもできる。一度世間が、この薬物の効能を知ってしまえば、薬学に残された謎はかなり少なくなる。我々が一体となって、大麻の医薬的使用を禁じている不合理な法律を排除すれば、薬用目的のための良質なバッツの値段は劇的に下落するのが道理である。
 現在、高品質の医療用大麻品種がこんなに高価なのは、我々の大多数が、必要とする原料を非合法な売人や栽培者から購入しなければならないからだ。もし良質の大麻品種がシステムの妨害なく適切に栽培されたならば、この治療薬はほぼタダ同然で買えるようになるだろう。高価にしているのは、偏に政府が採用している法律のせいである。そうであるなら、これらの法が存在することを我々が許しておく道理はない。ハッキリ言って、誰にも大麻の医薬的使用をコントロールする権利など無いのだ。もし誰かがこのような事を続け、我々をコントロールしようとするならば、それは単純に大きな利益になるために他ならない。
 大麻は伝統的な薬草療法に過ぎず、それは我々のご先祖様達が自由に使っていたのと同一の薬草なのだ。我々は自分達の権利を取り戻さなくてはならない。それはこの植物をどこでも自由に育てる権利であり、可能な全ての方法でそれを使う自由である。近年制定された、大麻の自由な使用を禁止しているどんな法律も、結局は腐敗に端を発している。であるならば、彼らがそんなナンセンスを強要するのを我々が許しておく義理はない。この法律の撤廃以外に理性的な方法はありえないのだ。この植物の自由な医薬的使用に反対するアホ臭い法律は消え去ってもらわなければならないし、同じく、自分達の計画を我々に押し付けている輩達にもそうしてもらいたいものだ。