不死鳥の涙 ーリック・シンプソン物語ー 第8章

第八章  カンガルー法廷(いかさま裁判)

 違憲審査訴訟が少ない財産を食い尽くしたので、弁護士を雇えなくなった私には、自分自身で弁護を行う道しか残されていなかった。2007年春から夏にかけて、裁判の書類は全て、連邦警察によって親展で私に届けられた。警察はがらりと態度を変え、急に親切になり、協力的に見えるようになった。私の訴状が受理される前の数か月は、よく連邦警察のパトカーが自宅の庭にいたものだった。裁判書類を届けてくれる警官達は、皆私が裁判で勝つことを望んでいると、玄関先で口々に言うのだった。これは過去の彼らの行動からすれば確かに劇的な変化だったが、歓迎されるべき良い方向への変化であった。
 ある日一人の若い警官が書類を持ってくることがあり、私は彼と会話を始めた。「リック、僕はあなたがどんな風に患者を治療するのか、よくは知らないけど、もし自分が病気になったら医療システムの方に行くと思う。」と彼は言ったので、私は笑って尋ねた。「あんたは私の所に来る人達が、既に医療システムの世話になってから来ているとは思わないのかね?」多くの場合、最初に患者が私の所に来るのは、医療システムが彼らの体に与えたダメージが原因だった。「もしあんたがステージ4の癌に罹っていたとして、医療システムでは手の打ちようがないと分かったとしたら、どこに行くんだい?」この会話で、若い警官は何が起こっているのか本当に理解したようだった。彼は家を去る時にはとてもフレンドリーになっていて、私がしていることを支持しているようだった。警察官達はまるで賢く成長し始めたかのようであり、見るからに彼らの多くが真実に気付いていた。恐らく彼らの多くは、自分達の家族の中で病気に罹っていたり、死んだりした大事な人の事に思いを巡らせ始めたのだろう。同様に私の提供しているオイルが助けになることにも。
 ところで、裁判が始まるまであと一週間も無い時に、私は初めてUFOを見た。その数か月前に、私を手伝ってくれているマーク・アレンと近所の人が、空を飛ぶ不思議な物体のことについて話をしていたのだが、私はそれほど気にしていなかった。それが存在しないと考えていたわけではない。今まで何百万人もの人が空を飛ぶ不思議なものを見てきたと言っている訳だし。ただ私は、57歳にもなって自分自身でその存在を目にしたことが無かったので、今後も見られないならば残念だ、くらいに思っていた。
 ちょうどその日、マークは私の家に来ていて、来るべき裁判について話をしていた。私は疲れたので彼を家に送って行こうと、トラックがある庭の方へ二人で向かった。ちょうど玄関を出た所で、家の近くの電柱の上で何かが私の目を捉えた。底が八角形に輝く物体が空に浮いていた。すると、どこからともなく、もう一つが合流し、それから三つ目が加わり三角形の隊列を組んだ。そんなに高い所にあるようには見えなかったが、それらからは全く何の音も聞こえなかった。私はビデオカメラを取りに行ったのだが、戻った時、それらは飛び去った後だった。何か痕跡が無いか探したものの、何も見つけられなかった。
 マークと私はトラックに乗り込み、近くの丘まで走った。またUFOが見られないかと期待して。そこで我々はその物体が、まだ隊列を組んで飛んでいるのを遠くに見ることができた。それらは恐らく上空2000フィート位を飛んでいるように見え、何か調査でもしているような様子だった。我々はしばらくそれを眺め続け、スポットライトで信号を送ってみたが、返事は無く、そのうち夜も更けてきた。その物体は人間により操縦されているとは考え難い。なぜなら、我々が目撃した物体が移動する軌道でかかる重力に、人間は耐えられないだろうから。「すごいじゃないか?私が狂った裁判のために自己弁護を準備している最中に、今度はUFOが見られるなんて。」少なくとも、マークと私はその夜一緒にいて、同じものを見たのは確かだから、それらの物体が実際にそこにあったか、または、私とマークの二人とも同時に幻覚を見ていたかのどちらかだろう。私が思うに、世間から隠されているがUFOは沢山存在しているのだ。しかしなぜ?答えは彼らしか知らない。
 私には時間が無かったし、そもそも自分ではできなかったので、隣人のラリーとルビーが裁判の準備に一役買ってくれた。2007年9月に最高裁での裁判が始まった。有罪か無罪のどちらを申し立てるか訊かれたので、私は、腐敗が作った法律に基づく罪を認めることはできない、と答えた。法廷は自動的に私が無実であるとの申し立てをしたとみなした。
 私は栽培と販売、所持の罪で起訴されていた。栽培の罪に関して、もし私が大麻を育てなかったら、薬が必要な患者にどうしてそれを無料で供給できただろう?また、販売とは辞書の定義によると、物品の交換により金銭を得るという意味であるが、この言葉の本当の定義は法曹界では通用していないのが明らかだ。これは司法システムが我々には理解できない独自の言語を弄している証左である。裁判所で使われる言葉の定義が、我々のそれと違うのはおかしいのではないか?私が思うに、もし彼らが同じ定義を使ったら、彼らが本当にしていることを隠すのが難しくなってしまうのだ。私は患者にこの薬を無料で提供していた。それを司法システムは〝販売〟の罪で裁こうというのだから呆れてしまう。さらに所持に関して、私がオイルの原料となるものを所持せずに、どうやって苦しんでいる人々にオイルを提供できただろう?これら全ての罪は法律的ナンセンスに過ぎないのだ。私のしたことは法の精神に反していないし、誰にも危害を加えていない。私は自分のしたことが間違っていないと知っているし、司法システムも実はそれを熟知しているのだが、寄生虫である彼らはこの堕落のゲームを続けるしかないのだ。
 もし彼らが自分達によって引き起こされている苦痛に対し無知であるならば、彼らの言い分も聞かないでもない。しかしながら、私が入廷した時に、裁判官や検察弁護人が真実を知らなかったはずはないのだ。彼らが誰の指図を受けているのか定かではないが、それがオタワから直々に来ているのではないかと、私は強い疑念を抱いている。もしこれらの法律家達に一片でも良識があったならば、私のケースを政府の面前に突返すという正しい決断を下しただろう。しかし案の定、私が指摘してきた業界の腐敗のため、それが起こることは無かった。
 陪審員が私の事件の為に選出されたとき、私は判事に、偏見のない陪審員を付けられる権利があるか尋ねた。我々は大麻に関するプロパガンダで何十年もの間洗脳されてきた。私が受けてきたと同一のプロパガンダに曝されてきた場合、どうやってこの陪審員が偏見を有していないと担保できるだろう?私は陪審員に、人類の大麻使用とその本当の歴史に関するビデオを見てもらいたいと訴えたが、即座に却下された。これで私は事実を知らされている陪審員を付けてもらうことができなくなってしまったのだが、これは、カナダの司法システムが用意していたからくりのほんの一端に過ぎなかった。
 私は10人の患者と6人の医師を証人として呼んでおり、証拠として山のような科学的研究結果を集めていた。第一審では6人の連邦警察官が証言した。まず、検察が起訴事実を述べ、警官達が次々と私の家の裏庭における彼らの勇敢な功績について、陪審員に語った。それから、私の反対尋問となったのだが、私の番になった途端に警官達は全員緊張し始めた。それぞれの警官に対する反対尋問で、私は家宅捜索をされる前年の2004年にスプリングヒルレコード紙に掲載された記事を掲げて尋ねた。犯罪者は自分のしていることを新聞の全ページ記事で詳細に説明するのかと。当然のことながら警官達は、犯罪者がそのようなやり方はしないことを認めざるを得なかった。それから私は、彼らが襲撃を行う3ヵ月前の2005年5月6日に提出した、ビデオテープと資料についてそれぞれの警官に質問した。彼ら全員がこのビデオテープと資料について知っていると答えたが、その内容を一度も見ていないと認めた。私は連邦警察ではそのような証拠を精査しないのが通例なのかと尋ねた。私は、この質問には誰も答えなかったと記憶している。彼らはただそこに無表情で座っているだけだった。ここで裁判官が彼らに答えるよう命じるのが筋だが、それは起こらなかった。
 証人尋問では家宅捜索の際に私と一緒にテラスにいた女性警官も呼ばれ、私がこの植物の治癒力について語ったことを全て信じている、と発言したことを記憶しているか尋ねられた。彼女は陪審員に対し、その会話を良く憶えており、その日私が彼女にした話を信じたと証言した。
 そして家宅捜索の日、私の友人の頭に銃を突きつけた警官が反対尋問される時が来た。私はなぜあのような行動をとったのか質問した。彼は、私の家の角を曲がった時にテラスのデッキの上に銃を見た気がしたからだと、説得しようとした。家のデッキはカーボン繊維の1.2mの波型パネルで側面を囲まれていて、デッキの床は地上91cmである。もしそこに銃があったとしても(実際は無かったのだが)彼の立っていたところからデッキの上にあるものを見るには、身長が3.7m必要だ。彼がデッキへの階段を昇ってしまえば、そこに銃が無いことはすぐ見てとれたはずだった。それなのになぜ彼はあのようなやり方で、私の友人を脅迫しなければならなかったのか?当日、完全に合法の空気銃がリビングルームの隅に置いてあった以外、連邦警察が振り回していた銃と、この警官が友人の頭に突き付けていた銃を除いて、デッキの上にも家の中にも一切武器は存在していなかったと、私は法廷で申し立てた。この銃を振り回す自分に酔っていたカウボーイ君は、反対尋問が終わった頃には、完全に色を失っていた。
 なぜ我々はこのような人間達の傍若無人な振る舞いを我慢し続けなければならないのか?彼のような臆病者は銃の所持すら許可されるべきではない。このしゃかりきな若造が、何かに驚いた拍子に銃を発砲していたら、無実な私の友達が頭に銃弾を受ける結果になっていたはずだ。しかも、もしこれが現実に起こっていたとしたら、この警官にあるまじき最たる例の男は、どうにかして、このあからさまな殺人を罷り通したに違いない。テラスで起こったことを目撃した後の私は、今まで何人の無辜の人々が同じようなやり方で殺害されたか、思いをはせるのを禁じ得なかった。
 次に、検察は連邦警察のマリファナ専門家を召喚したが、これがかなりの見物となった。反対尋問を始めるにあたり私は「先生、あなたは連邦警察のマリファナ専門家としてここに来ているのに間違いないですね?」と口火を切った。彼は「その通りです。」と答えた。それから私はこの自称専門家にヘンプについて何を知っているか尋ねた。すると彼は、ヘンプについては何も知らないと答えた。それを聞いて私は彼を追及した「あなたはマリファナの専門家と考えられているのに、マリファナがヘンプであることをご存じ無いのですか?」信じがたいことだったが、実際、彼はこの点を議論しようとしていた。彼は「否々、マリファナはマリファナで、ヘンプは全然違うものです。」と力説した。この題材に注意を向けている人間であれば誰でも、単純な事実として、マリファナがカナビスヘンプであることをよく知っている。もしこの男が何かの専門家なのであれば、それはこの分野でないことは確かだと、私はすぐに気が付いた。そこで私は一枚の書類を手にとった。それは、1923年に制定された腐敗した法律のコピーだった。私は陪審員にこの文書が何であるか説明し、不思議なことに、そこにはマリファナという言葉は存在せず、代わりに「インディアンヘンプ(インド大麻)」と書いてあることを指摘した。
 この法律はシステムが世にも恐ろしい「マのつく言葉」を使い始める前に制定されたものだ。果たして、私が専門家であれば当然知っておくべきことを説明すると、検察側証人は狐につままれたように目を白黒させていた。連邦警察が納税者の血税を使ってこの植物を撲滅しようとしていたのは疑いのないところである。警察官達をヘリコプターやパトカーに乗せるのはただではない。その上、カナダ政府はこの魔女狩りに軍隊まで投入してきたのだ。私は彼に、連邦警察に割り当てられた予算の内で、大麻を撲滅するために幾ら使われているか尋ねた。彼は「60%以上です。」と答えた。私は「連邦警察は国民が自分達のために支払った税金のうち60%以上を、今まで誰も傷つけたことがない植物の撲滅に費やして来たのですか?」と続け、この資金と労力が、本当の犯罪者達の追及に使われた方が良い、と感じたことはないのですか、と訊いた。彼は 口篭もって、自分が法律を作ったのではないとか、自分はそれを執行しているだけだとか、もごもご言っていた。
 私は続けてこの自称専門家に、マリファナは依存性があると考えているか、質問した。彼は、自分が知っている限りではそうだ、と答えた。そこで私が彼に、自分自身でマリファナを吸ったことがあるか尋ねると、彼は過去に吸ったことがあると認めた。彼に依存症になったか尋ねると、答えは「いいえ」だった。この専門家は自分の政府が、何年も前にマリファナが非依存性であることを認めたことすら知らないのだ。私は検察に警告していた。彼らが証言台に立たせる専門家は、反対尋問で私にズタボロにされるだろうと。彼が証言を終えたとき、まさに言った通りになった。理由は簡単だ。彼と違って私は、自分の対象に精通していたのだから。
 これらの警官達が証言を終えたとき、検察の訴えはかなり揺らいでいるように見えた。彼らの狙いは陪審員に、私が何か犯罪行為と考えられることをしたと印象付けることだった。全ての警官の証言は、犯罪者は私が示しているようなオープンな行動をとらないと示唆していたし、この件を通して私は、いかにも犯罪者然とはしていなかった。もし、あなたがこの全てを聞いた後で、陪審員に選ばれたとしたら、あなたはどう判断するだろうか。
 この裁判における検察側の証人喚問はこれで終わることになっていた。これに続く日程で、今度は私が自分の弁護のための証人喚問を始めることになっていた。その日、陪審員が去ってから、裁判官は私にどのように弁護を進めるのか訊いてきた。私は判事に、自分自身でオイルを使った患者達の証言を最初に集めたい旨を伝えた。そうすることで、オイルが彼ら自身の体に何をしてくれたのか、彼ら自身の口から陪審員に教えることができる。全ての患者が自分達の経験を説明し終えたら、次に、私は彼らの医者を証言台に立たせるつもりだった。そうすることで、すでに陪審員は患者の証言を聞いているので、医師達は真実を曲げることができなくなる。
 私はすでにある癌専門医から、証言する予定の患者についての宣誓済みの供述書を得ていたが、それは完全なるでたらめだった。彼が提出した宣誓供述書によると、ジム・レブラックという患者を治療していたこの医者は、ジムが末期癌を患っていた事実を否定していた。さらに他の家庭医は、末期の肺がんで死にかけていた他の患者のカルテを、巧妙に歪めて提出していた。彼が提出したものは、現在この末期の肺がん患者が完治していることを無視し、これを証明するレントゲン写真の提出を拒否していた。ここまでくると分って頂けると思うが、患者と異なり、医師は望んで法廷に参加することはない。彼らはこのオイルの使用が示す事実が、自分達の専門的職業の大きな脅威になり得ることを熟知しているのだ。結果として彼らの利益にはならないから、社会に対して、この治療薬が本当はどれほど効果的か証明することに、彼らは協力しないのだ。
 この時までにノバスコシアと他のカナダの地域にいる医者のかなりの人数が、既にこの天然オイルが自分達の患者の健康に何を起こしているのか知っていた。このオイルを使用したおかげで、末期癌に苦しんでいた多くの患者が、今や癌が消え健康体に快復していた。しかし大抵の場合、医師達はこの治療薬の真実を社会から隠す道を選ぶのだった。私や私がオイルを提供した患者にとって、これらの医師達が正しいこと、カナダ国民の利益に資することをせず、嘘を付き通そうとしていることは疑う余地がない。現行の医療システムは本当に見るに堪えないものなのだ。医師達は神のふりをして歩き回り、懐に金を入れていく。その結果、我々は苦しみ死んでいく、ほとんどの医師が、自分達の仕事を適正に行うことを拒否しているからだ。彼らを信用し、自らの命をその手に預けている者は皆、完全に欺かれてきたのだ。私は全ての医師がそうであると言っているわけではない。しかしながら、心から信用できる本物の医者は少なく、極稀にしか巡り会えない。
 私がやろうとしていることを判事に説明し終えたとき、私が証言に呼ぼうとしている患者と医師は、私の訴訟となんの関連性も無いと彼は告げた。私は衝撃を受けて固まった。彼らの証言に関連性が無いなどというこの男は何者なのだ?私にとって、この言い分は完全に論理性を欠いていて、全ての形で理性を無視するものだった。私の証人達はこの事件と完全に関連性がある。彼らは私が治療の為にオイルを供給した患者達であり、その内の何人かは末期癌が治癒さえしたのだ。それなのに、この判事はどういう料簡で、彼らが私の事件と関連性が無いなどとのたまうのだろう?醜い言い争いを避けるため、彼は、これらの証人の証言を許可することを考えておくと言い、公判が再開する日に話し合うことを提案した。
 翌朝彼は私に、よくよく考えたが、彼らの証言を許可する必要性を見いだせないと、決定を言って寄越した。これにはさすがに、開いた口が塞がらなかった。これらの〝公僕〟と呼ばれてきた人間達は、自分達が本来守るべき公益となる真実を、公衆に隠しておくためなら、どんなことでもするのだろうか?これで、私が最初に公判システムに入った時、なぜ報道規制が敷かれたのか、やっと理解できた。しかし大局を見れば、それがあろうとなかろうと大した違いはなかっただろう。結局のところ今日のマスメディアは、我々に真実を伝えてはくれないのだから。
 少なくとも、公判において検察が彼らの証人喚問で素晴らしい仕事をしたとは言えないことは分かっていた。私は科学的証拠を大量に有していたから、患者達の証言無しでも、自分がしたことを正当化できる証拠が揃っていると、まだ考えていた。しかしまたしても甘かった。この判事によると「科学的証拠は、それを出版した人間が法廷に来ない限り、証拠として提出できない」というのだ。そこで私は「それが認められないなら、この裁判だって違法なはずだ。これらの法律を作成し、制定した人間もここには来ていないのだから」とやりかえしたが、予想に違わず、私の言い分は無視され、彼らは少ない尋問を続けたのだった。彼らは私が否定したことに対して、アホみたいな言い訳があるようだったが、こんな人間達と一緒にいることは虫唾が走るだけだった。
 私は公判の最中判事にこんなことを言ったのを憶えている。「私の裁判が終わる前に、刑務所に行くのはあんたの方だろう。」私は何の理由も無くそんなことを言ったのではない。「シンプソンさん、感情的にならないでください。」と判事は応えた。私は椅子を蹴って立ち上がり、声高に叫んだ「感情的になるなだと!ここで行われていることは全て犯罪だ!私の所有地で行われた連邦警察の襲撃の結果として、大勢の人が苦しみ、死んでいるんだぞ。私が感情的になっているか?だったらなんだってんだ!」判事は返事する代わりに、項垂れただけだった。これが我々の司法システムの本当の姿なのだ。燕尾服に身を包み、正義を司っている振りをしている人々。もしこの公僕達の本当の姿に民衆が気付いたら、一番近い木で彼らを縛り首にするだろう。もちろん麻縄で。
 最終的に全ては私次第という所まで来た。私は自分の弁護のために証言を許された唯一の人間だった。私は2時間程かけて、陪審員に事件の全貌を説明し、言い淀むことは一切なかった。私が説明を終えた時、何が起こっているか陪審員には明らかだった。陪審員は、裁判所が許可しなかった証人以外の、全ての関係者の証言を聞いた。私がしたことが間違いだったと考えられることは、ありえないだろうと私は感じていた。私は注意深く、この自然薬が人類にとっていかに素晴らしいものであるか説明した。反対尋問の後、私は証人席を離れ自分の席に戻った。数分後、私は最終弁論をすることとなり、判決は陪審員の手に委ねられるはずだった。
 そこにまたしても妨害が入った。突如として検察は、マリファナアクセスプログラムの代表に証人尋問する必要があると言い出した。私が弁護を始める前に、既に検察は彼らの論告を終えていたので、彼らが申し出ていることは、通常ありえないことだった。彼らがしようとしていることは、法律用語でsplitting the case(裁判の分断)と呼ばれ、法曹界では眉を顰められる行為であり、許されざるべきものだった。彼らの要求を却下する代わりに、判事は検察に協力し、証人尋問を認めた。私は何が起こっているのか訳が分からなかったが、この証言が終わるまで、自分の最終弁論を待たなければならなかった。
 検察が必死になって必要としている証人は法廷にはいなかったので、公判が可能となるのは次の月曜日ということになった。マリファナアクセスプログラムの代表が何を証言したところで、検察の役に立たないことは、私には分り切っていた。前の憲法訴訟で既にこの証人は呼ばれていたから、語られることは予想がついたし、それは時間の無駄だと思った。月曜日になり、証言がなされたが、それが私の裁判に大したインパクトを与えなかったのは言わずもがなで、検察がこの手法をとったのは、ただの時間稼ぎか、悪意に基づく何かの策略に過ぎなかった。不幸にして、裁判官が適正な職務執行を放棄していたから、検察のやりたい放題を止める手立てが私にはなかった。
 この代表の証言を聞かされてから、私はやっと最終弁論を許された。私は陪審員に、もし自分達が癌の治療法を発見したとして、私が連絡をとったところ以外でどこにその情報を持って行くか尋ねた。陪審員が私の立場だったら、という手法を取った。そうすることで、システムが我々皆に何をしようとしているのか、彼らに分るはずだ。私は、このオイルが既に多くの人々の助けとなったことを説明し、証人として呼んでいた患者や医師が、証言を許されなかったことを知っておいてもらいたいと頼んだ。最終弁論を終えた時、私は勝訴の手応えを感じていたし、傍聴席を埋め尽くした私のサポーター達も同じように考えていた。
 陪審員は退席し、3時間後評決に達した。それから我々は法廷に呼び戻され、彼らの評決を待った。私の違憲審査訴訟と続く上告審ですべての弁論を行った司法省のモニカ・マックウィーン検事は法廷にいたが、おかしなことに、ダグ・シャトフォード検察官はどこにも見当たらなかった。しばらくして、シャトフォードが入室してマックウィーンの隣に着席した。それから3分程して陪審員が入廷してきた。
 私は起立し評決を待った。「有罪、有罪、有罪。」私は耳を疑った。この陪審員は全てを変え、この治療薬に公衆の関心を集める素晴らしいチャンスを持っていたのに。カナダでは7万人が毎年癌で死んでおり、さらに、この治療薬が効果的な他の病気でも、数えきれない程の人々が亡くなっている。それにも拘らず有罪とは。陪審席に座り、これに加担した陪審員達よ!どれほど自分達の手が血に汚れているか、よく考えることだ。私は陪審席に座っていた人々の親戚に、オイルを提供したこともあった。それは彼らを治癒させたのだが、彼らは私を有罪にしたのだ。一体人を癒すことが、何に対しての罪なのか?もし、彼らの中の一人でも「無罪」と言ったならば、評決不能となったはずなのだ。私は煙に巻かれたようだった。何かおかしい。こんなことは起こりようがない。
 陪審員が退廷するとき、彼らはガックリと項垂れていた。私は判事に言った「さあ、今すぐ収監したほうがいいんじゃないか。私は刑務所に入るまで、必要とされるならオイルを供給し続けるだろう。」法廷での言動から、私がオイルを供給し続けていることは完全に明らかだったが、一度もこの裁判官は私に止めるよう言わなかった。もし私が本当に罪を犯していると考えていたならば、私の行為を停止するよう命じていただろう。この判事の頭の中で何が起こっているのか本当に理解不能だった。ある時はとても協力的に見え、次の瞬間には、怪物になっているのだ。私は彼に何を期待したらいいのか分らなかった。
 評決がなされた翌日、リック・ドゥワイヤーから電話があった。彼の妻のマーガレットは、ダグ・シャトフォードが陪審室から評決の直前に出てきたのを見たと、言い張っていた。これで合点がいく。この裁判における彼らの言動を見れば、彼らが陪審員に圧力をかけることは考え得ることだった。彼らは既に私に対し、彼らがどんなことでも出来るのだと言外に示していたから。陪審員に圧力をかけることなど、彼らにとって朝飯前なのだ。
 私はマーガレットに、なぜその時声を上げなかったのかと尋ねた。彼女は「リック、私は裁判の手続きなんてさっぱりだから、彼が陪審室を出てきたとき、あまり注意してなかったの。でも、後になって、よくよく考えて見たら、何かがおかしいって気が付いたのよ。」と言った。「いいかいマーガレット、陪審員買収は深刻な犯罪だ。確証がないとだめだ。今から裁判所に取って返し、あんたが座っていたその場所に戻って、彼がどのドアから出てきたか確認してくれないか。」
 マーガレットは裁判所に戻り、私が頼んだ通りにしてくれた。それから後、マーガレットとリックは真っ直ぐ私の家に来て、彼女が座っていた場所から廊下に見える唯一の扉は、陪審室の扉であることを知らせてくれた。即座に我々は判事に連絡し、この情報を伝えた。2週間後、我々は再び裁判所に召喚された。私は、この件について何か会合が持たれるものと考えていたが、我々が入廷したとき、カッチオーネ裁判官はベンチの向こうに腰かけていた。マックウィーンとシャトフォードも、彼らを弁護するためにハリファックスから寄越された、うりざね顔の弁護士と共にそこにいた。
 判事が口を開いた。「ドゥワイヤー夫人、もし、あなたが言っていることが真実でないと分かった時には、最長14年の刑で刑務所に服役するという事実を認識しておいて頂きたい。」この判事の脅しは何の効果も無かった。マーガレットは「私は、自分が見た真実を話す為にここにいるのです。」と答え証言台に立った。うりざね顔の弁護士はマーガレットの証言に穴を開けようと必死になったが、無駄だった。彼は、彼女のオイル使用について質問し、私からオイルを得続けるために、これをしているのではないかとほのめかした。マーガレットは彼の言ったことを意にも介さず、笑って言った「あのね、オイルはどこでだって手に入るのよ。この辺には栽培者が沢山いるんだもの。」彼女はこれ以上ないほどの女丈夫だった。マーガレット・ドゥワイヤーは私が出会った中で最も信用置ける人間の一人である。
 しばらくすると、彼らはマーガレットが証言したことに、なんの瑕疵もないことが分かったようだった。そして彼女はお役御免となった。それから私の番になったので、ダグ・シャトフォードを証言台に召喚した。私は自分の活動を通して2人の売人を知っていたが、彼らはどちらもシャトフォード氏に大麻を売ったことがあると言っていた。そこで私は彼に、大麻を使ったことがあるか尋ねた。シャトフォードは頭が爆発するのではないかというほど、耳まで赤くして、どもり始めた。すると判事が割り込んできて、彼の側に立って言った。「その質問は却下します。」私は答えて「検察側弁護人はマーガレットに大麻使用について質問しました。ではなぜ同様に彼に質問できないのですか?」私が質問することは何であれ、ちゃんとした回答えを得られないようだ。そしてこの判事が誰の味方なのかも明らかだった。
 2人の廷吏も審理を受けた。いわずもがな、彼らは出世が掛かっているので、シャトフォードが陪審室にはいなかったと証言した。これは第一級のカンガルー裁判(いかさま裁判)だろう、もし他に比べる物が過去にあったとしてだが。最終的に、判事はこれをドゥワイヤー夫人と私が、判決を遅延させるためにでっちあげたものだと判断した。よくもそんなことが言えたものである。マーガレットが証言したことで反証されたものは一つも無かったし、もし、彼女が嘘を付いているならば、先に自分で脅したように、なぜ彼女を刑務所に送らなかったのだろう。私は法律については明るい方ではない、特に、彼らの独自ルールについて。だがこの様な場合、現実として連邦警察は大規模な捜査をすべきなのではないだろうか。加えて、この審理では、なぜ陪審員が呼び戻され尋問されなかったのか。悲しいことに、彼らが私を吊し上げるためにそこにいるのは明らかであり、何があってもやめる気は無いらしい。
 私の判決は2007年11月30日、私の58歳の誕生日に言い渡されるのが決定していた。この法曹界のおめでたい人達は、自分達がどれほど幸運だったか知らないのだ。なぜなら、私は目の前で起こっていることに対して、怒り心頭に発していたからだ。もし私がオイルを使って自分を宥めていなかったら、狩りキチのカムバックは疑いようがなかった。もしそうなっていたら、この犯罪者達に隠れる場所は無いだろうし、凄惨な最期を迎えていただろう。今では、彼らのような人間がこのような特性を発現するのは何故か、という事実を、自分自身に納得させることができているので、そのような暴力的な道を選ぶことは無いが。それでもその時は、実際に「もし彼らが私を牢獄に入れるのならば、それに本当に値する理由を彼らに与えてやろう」と考えていたのだ。私の周りにいる人間も同じだった。全てが血に染まらなかったのは、本当に紙一重の幸運だったのだ。私の心の中では、父だったらこのような状況にそうやって対処しただろうという思いがあった。しかしオイルのおかげで、私は冷静さを保つことができたのだった。