不死鳥の涙 ーリック・シンプソン物語ー 第6章

2019年2月7日

第六章 親友リック・ドゥワイヤーとの出会い

 以前オイルを提供し癌の治療に成功したパット・ゴーチーという女性が連絡してきた。彼女によると、マッカンにあるこの地域の王立カナダ退役軍人協会の支部でバーテンダーをしているリック・ドゥワイヤーという男が、私に会って何をしているか詳しく知りたがっているということだった。リック・ドゥワイヤーに会って、私は即座にこの男のことが気に入った。彼は偏見が無く正直で、このオイルが一体何なのか知りたがっていた。そして、治療としてオイルを使う人の所に行く時、同行しても良いかと訊いてきたので、患者の所に同行して構わないし、寧ろ大歓迎だと伝えた。ドゥワイヤーは同行した初回に、得心がいった様子だった。そこでオイルを薬用目的で使用している本物の患者達と、それがいかに彼らの病状の助けになっているかその目で見たのだ。その時私は患者の改善を記録に残すため、訪問時にビデオカメラを携行していた。こうすれば経緯や成果を見たい人がいたら、証拠を提供することが出来る。証拠には困らないのだし。
 ドゥワイヤーと私は何度も、この事案を退役軍人会の議案にすることを検討した。つまり、私は退役軍人の息子であり、カナダ退役軍人協会は、退役軍人とその家族の権利を代表する組織であるはずだからだ。自然のハーブで自分を癒す自由以上の基本的権利があるだろうか?我々全てに対して行われている不正を止めるため、私とドゥワイヤーは、マッカンにある王立カナダ退役軍人協会134支部でこの事案を議論するため、住民集会を計画した。集会は2005年4月に開かれた。およそ10人の患者が聴衆に、オイルが自分達の病気に何をしてくれたかを話す為に、姿を見せていた。その日45名前後が集会に参加し、ビデオカメラが設置され、イベント全体を録画した。この集会で、私はその夏に自宅の裏庭で、大麻を栽培する意志があること、そうすることでオイルを提供できることを公言した。当然のことながら、私は包み隠さず、全てを明らかにした。私は集会の録画映像をコピーして、カナダの人気報道番組であるW5、Fifth Estate、The Nature of Thingsに郵送した。
 数週間後の2005年6月6日、同じビデオのコピーを王立カナダ騎馬警察(連邦警察)のアムハースト支部に持っていった。私は彼等に、地元の政治家達は住民の死亡に対する不作為の罪で訴追されるべきだと告げた。また、より多くのオイルを作れるように、連邦警察が家宅捜索の際に押収した物を返してくれないかとも訊いた。連邦警察を全く信用していなかったので、リック・ドゥワイヤーを伴い、私が彼等に資料とビデオを渡すところを全部録画してもらった。その日連邦警察支部のカウンターの奥にいた女性は、我々がカメラを手に入っていったとき、かなりショックを受けていたようだった。録画することで連邦警察は、彼等が私から証拠となる資料を受け取ったことを、言い逃れできなくなる。それから3ヶ月が過ぎたが、連邦警察からは梨の礫だった。しかしながら2005年8月3日まさにこの同じ警察支部が私の自宅を襲撃したのだ。
 ちょうどその日、友達が訪ねて来ていた。私がコーヒーを淹れている間、彼はベランダにいた。突然ドアがノックされる音が聞こえ、開けると連邦警察の警官が一人立っていた。彼が玄関に足を踏み入れようとしたとき、私は令状を持って来たか尋ねた。彼はただ呆けたような顔をして、大麻草を押収しに来たのだと言った。私が、3ヵ月前に彼の支部に提出した証拠とビデオについて尋ねると、彼はそれについて何も知らないと言った。
 そこで私は台所の方に入っていったのだが、そこからはテラスのドアを通して、外で何が起こっているのかはっきり見えた。3、4人の警官がデッキに立ち、そのうちの1人が私の友人の頭に銃を突き付けていたのだ。もしそこに武器があるのならば、この行為は許容されただろう。しかしながら、後に証明されることだが、私の家には規制対象となる武器は存在しなかった。彼らが発見できたのは完全に合法の空気銃だけで、それは発射速度が遅い為、規制対象銃器ではない。ホームセンターで子供でも購入できるこの空気銃は、リビングの隅でテレビの後ろに立てかけてあった。
 これでは西部劇と大して変りないな、と私は思い始めていた。この一般に警官と呼ばれる人間達の行いは、酔っぱらいのカウボーイの一団と大差なかった。私とテラスに出た時、玄関から入ってきた警官が大麻畑を見て「西海岸の同僚の警官4名が、これのせいで命を落としたばかりだ!」と言った。私は彼が言及した事件について知っていたので、そんな出鱈目を信じると思うのか、と返してやった。連邦警察はすでにプレスリリースを出して、その警官達はマリファナのせいで殺されたのではなく、恐らくピックアップトラックを差し押さえようとしての、職務上の殉職だったことを認めていた。連邦警察は自分達の顔へ真実が投げ返されるのに慣れていないらしい。その警官は唖然としていた。暫くして彼らは、私の友達が帰ることは許可した。彼は裏庭にあった大麻草とは関係が無かったからだ。
 テラスからは3.7mも離れていない所にある畑が見えていて、開けた丘の上に大麻草が生育していた。大体8人程の警官がテラスのデッキの上でひしめいていたが、誰も大麻畑に踏み入って行かなかった。彼らの1人が私の所に来て、大麻畑について知っておくべき事はないかと尋ねてきた。この重装備をした公僕達が神経質になっているのを見て、私は我慢が出来ず、いくつかクレイモア(散弾を打ち出す対人地雷)が仕掛けてあるだけさ、と言ってやった。彼の顔色が変わるのは見物だった。私が言ったことがよっぽど衝撃的だったようだ。
 私はそのまま数秒間空気を楽しんでから笑って言った。患者達は苗を植えるのを手伝ってくれており、庭で遊ばせるために孫を連れて来る者達すらいると。そんな状況で、たとえ所有していたとしても地雷を埋めようと思う人間がいるだろうか?彼は頷き行きかけたが、そこで振り返り再び訪ねた。所有地の周りにある森に、銃を持った人間がいるかと。こんな頭のてっぺんから爪の先まで武装していて、まだ彼らは誰かが狙っているかもしれないと心配しているのだ。自分達がしていることの為に。私は彼に「当たり前だろ。銃を持った人間達で森は一杯さ、特に狩猟シーズンはな。」と言ってやってから、こう考えざるを得なかった「連邦警察はよくこんな猛者達を見つけてきたな。」
 6、7人の警官が庭の奥に入っていって、プラントを切り倒し始めた。私はテラスに女性警官とともに放っておかれたが、絶対的に不機嫌だった。彼らがしていることに腹を立てているとき、女性警官が話しかけてきた「あなたが仰ったことは全部本当だと、私は信じています。」頓珍漢なことを言うと思って、彼女を見て言った「この植物の治癒力に関して、私が言ったことが全て本当だと信じているって?」彼女は頷いた。「では、あなたのモラルはどこにあるんだい?これが癌を治すものだと知っているのに。」と訊くと、彼女は俯いて何も言わなかった。
 この家宅捜索で彼らは、溶媒を蒸発させ再利用するのに使っていたボイラーを押収していった。私の横を通って、警察のバンまでそれを運んでいく時、警官はしてやったりという顔をしていた。私をイラつかせようとしたのだろう。私は笑って言った「必要があればビールの缶でだってオイルは作れるんだ。ボイラーを取り上げたぐらいで、私がしていることを止められはせんよ。」それから私はアムハーストに連行され、指紋をとられた。その日自宅に戻ると、家の中はぐちゃぐちゃだった。家が修羅場だっただけでなく、オイルで患者が治癒していくのを写したビデオテープも無くなっていた。カナダ政府の名の下に、他人の所有物を破壊し好き勝手にものを盗るのが許されるのは、素晴らしい仕事なのだろう。最早、連邦警察が公衆の利益のために働いていないことは明白で、信頼できないことも確実だった。
 その時、私は沢山の人を治療していた。ボイラーも材料のプラントもなく、どうして彼らが必要とするオイルを精製できようか。それらを押収することによって、警察は私の活動に横やりを入れてきたのだ。私はオイルを精製し始めたとき、溶媒をホットプレートで沸かして飛ばそうとしたのだが、過熱状態になるとオイルが台無しになってしまうのだった。明らかにこの装置を使った方法は、オイルを精製するのに万人の信頼に足る方法ではなかった。だとしても薬としてのポテンシャルを損なわずに精製できる簡単な方法が、他に存在するはずなのだ。精神一到何事か成さざらんである。
 連邦警察の襲撃のあと2日ほど経って、ボイラーの代わりになるようなものが無いかとアムハーストにある地元のホームセンターに行き、家電コーナーを物色していた。私は炊飯器を発見して手に取り、どのように働くのか説明書を読んでみた。米は簡単に焦げてしまうから、炊飯器には2つの異なった温度調節が備わっている。高温の調理と低温の保温。電気炊飯器では温度が高くなりすぎると、自動的に低温に調節が切り替わる。もしこの器具が米の過熱状態や焦げを防ぐのであれば、オイルに対しても同様に働くのではないか?何とそれは実際に機能したのだ。電気炊飯器を使って、オイルを台無しにすることは一度も無かった。炊飯器は蓋さえ外しておけば、出来たオイルが過熱する恐れもなく、完璧な仕事をしてくれたのだった。
 私が知る限り、蒸留器とも呼ばれるボイラーを使うことが、火事や爆発の危険性を排除し、容媒を再利用するのには最適だ。生憎ほとんどの人はボイラーを持っていない。あれば安全に容媒を蒸発させられるのだが。このような装置は、単純に水を蒸留するもの以外は、カナダも含め所有することすら禁じられている国が多い。ほとんどの蒸留器は水を蒸留するために設計されており、熱元が水の中にある。これらは電気温水器と全く同じものだ。しかしこのような機器で容媒を沸かそうとするのは、馬鹿のすることで、そんなことをしようものなら、全てが炎となって自分の顔に噴きつけてくる。
 もし容媒を煮飛ばそうと思うのなら、蒸留器はよく設計され、厳重に組み立てられたものでなければならない。そして熱元は内部にあってはいけない。加えて、オイル精製の工程はとてもシンプルなものであるとしても、これを適切に行う知識のある人は希である。大体の人達はこのような機器を使う機会がないのだから。現状では、オイルを精製したい者にとって、電気炊飯器は非常に価値あるものとなるだろう。大多数が既に所有しているものでもあるし。これから買うにしても、通常30ドル程で購入することができる。炊飯器を使用することで、容媒の煮沸をはじめとする私の問題は解決し、数え切れない人々がオイルを自分で簡単に精製出来るようになった。
 家宅捜索から3日後、私はがっくりしてテラスに座っていたが、小さな大麻の葉が風にそよいでいるのに目が止まった。突如私はかなり大量の葉っぱが、自宅の裏の小さな丘の上にあるのに気が付いた。植えるのを手伝ってくれた人達が、必要であれば確認できるように本数を憶えていたのだが、その夏1620本のプラントが裏庭にあった。訊かれた時はこの数字を答えていたのだが、後に警察の声明では、押収されたのは1200本以下だった。ということは、家宅捜索の後400本以上のプラントが消えたことになり、連邦警察がそれらをどうしたのか不明なのだ。これは完全に異常事態だと思う。大概のケースで連邦警察は実際よりも多く報告する傾向にあり、少なく報告することはまず無い。おそらく、襲撃に関わった警官達が、消えたプラントを拝借することにしたのだろう。他にプラントがどこに消え得るだろう。
 彼らは地面すれすれでプラントを刈り込んで行き、その後で、鋤を使ってそれぞれのプラントの根の真ん中を掘り返していった。私の家に向かって、丘を上がりながら働いてきた彼らは、疲れていたに違いない。家に近づくにつれ、プラントのいくつかは地上4インチの高さで切り取られていたが、その高さはこの素晴らしく頑強な植物が回復するのに十分だった。残った部分はそれでも生き残ろうと頑張っていて、私が気付いたあの小さな葉を繁らせていた。あわよくば少量でもバッツが生産できるかもしれないと考えた私は、連邦警察が無視して残していった水やりホースを引っ張り出して、残ったプラント達が再生するために、できる限りのことをした。
 スプリングヒルレコード紙は家宅捜索の記事を掲載し、クリス・グッディングは大麻が植えられていた所を見ていった。彼がしたことと言えば、連邦警察が残したものについて、小さな記事を書いただけだった。悪魔の代理人はまたもや報道すべき論点を外したのだ。なぜ彼は連邦警察が押収したもので癌が治せ、他の病気に苦しむ何百万人が解放されたはずだと書かないのだろうか?少なくとも、地方紙のクロニクルヘラルドは何が起こったかについて、少しばかり偏見の無い記事を掲載した。
 それでも、彼らはもっとましな記事が書けたはずだし、病気の治療にオイルを使った人達を調査して、インタビューすべきだっただろう。それをしなかったのは言わずもがなであるが、代わりに、いつも通り問題の実態を無視して、勝手な考えを民衆に垂れ流している。地元住民の多くがこの襲撃に当惑していた。彼らは私が麻薬密売人ではないことや、無料でオイルを人々に供給しているのを知っていたから。
 この件に関する地元住民の不快感が、マッカンの退役軍人協会で再度の住民集会を開かせた。我々全員が、連邦警察のしたことは犯罪だと知っていたが、状況を修正するのにどうしたら良いのか見当もつかなかった。集会は盛況だったが、この問題について、掛け合える所には行き尽くしていた。権威筋の人間は誰一人として、公衆の最重要な利益を代弁しようとしていなかった。私達の誰一人として何をすれば良いのか分かっていなかった。リック・ドゥワイヤーと話し合って、何が起こっているのか退役軍人協会の海軍指令に知らせることにした。ドゥワイヤーは我々の地域の協会支部長だったことがあり、ジョージ・オーコインという名の海軍指令長にコンタクトをとることができた。4月の住民集会のビデオも送ったのだが、ご多分に漏れず、海軍指令はこの件に関わることを拒み指一本動かさなかった。
 退役軍人協会の会則には、王立カナダ退役軍人協会はいかなる政治団体にも与しないとハッキリ書いてある。もしこれが真実であるなら、なぜ彼らは行動しないのだろう?王立カナダ退役軍人協会は、政府やその利益を代弁する連邦警察の腐敗から我々を護る番犬であるはずだ。ここまで来ると、腐敗した政府からコントロールを受けない組織が、果たしてカナダに存在するのか疑問に思うのだった。もしあるのなら、彼らはカナダ国民の権利を守るために、矢面に出てくるはずだ。
 私が知る多くの栽培者が、自分達と病気に苦しむ友達のために、私の所に来てオイルを精製していた。何人かの栽培者は同じ様にオイルを無料で配っていて、私が作るオイルの品質を高く評価していた。ある日、アムハーストで3ヶ月程前にオイルを提供したことがある栽培者の一人に声をかけられた。「リック、あのオイルは本当に効くね。」と彼は言った。彼にオイルを提供したときは、彼自身が医学的問題を抱えているとは知らなかったので、何が起こったのか尋ねた。すると彼は、双極性境界型統合失調症と診断を受けたことがあると明かした。即座に、私は何年も前に目前でジョイントを吸い、顕著な改善をみせた統合失調症の若者のことを思い出していた。その栽培者はオイルを入手して家に帰った日、処方されていた全ての化学物質由来の薬剤をゴミ箱に捨てた。それから彼はオイルを摂取し始め、今や仕事に復帰し気分もすこぶる良いらしい。彼の返事は、このオイルの使用における、無視すべからざる新たな奇跡を告げるものだった。我々は数多の統合失調症患者を助ける無害な治療薬を手に入れたのだ。勿論他の様々な精神的疾患にも。
 2005年9月、私はカナダの司法システムの虚ろなホールに足を踏み入れた。法廷に出頭し、今年4月に退役軍人協会地方支部で催された集会のビデオテープを検察官に提出した。このテープには、逮捕される数か月前の5月に、私が連邦警察に資料とビデオを持っていくところも写っていた。そこには検察官自身に向けた部分もあり、この件は法廷が関与する話ではないと、彼に伝えていた。これと同じビデオをクロニクルヘラルドのレポーターにも渡していて、彼はその日法廷に傍聴に来ていた。私は彼らがこのビデオを見て分かってくれるものと期待していたが、当然その考えは甘かった。私の記憶が正しければ、この日、判事は報道規制を布いて、記者が私の事件に関する記事を書くことを止めさせたのだ。
 司法システムはこの件をゲームにしようとしていたが、少なくとも裏庭に残された大麻草は奇跡の復活を遂げていた。家宅捜索の後私はプラントに水をやり始めたが、その時は、9月の末に数百グラムの良質なバッツが収穫できたら、と思っていた。再成長したものを収穫し、乾燥してみると10kgにもなっていた。私は即座にそれらを全てオイルに精製した。実を言うと、地元の他の栽培者からそこまで沢山の原料を買わなくて済むことは、とても有り難いことだった。使える原料は確かに少なくはあったにせよ。私はまだ無料でオイルを配っていたし、地元の供給者から原材料を買っていたので、所持金は湯水のように無くなっていった。2001年にこの活動を始めたとき、私は国民年金と労働者年金から125,000ドル(約1000万円)を貰っていて、そのおかげで活動ができていた。しかし今や井戸は枯れ、残ったものをいかに使うか慎重にならねばならなかった。
 2005年秋、バイカーチームにオイルを提供して欲しいという男が接触を持ってきた。私はそんなナンセンスに関わる気はないと言った。オイルをストリートで売りたいならば、自分で製造すればいいのだ。彼は1グラム当たり45ドル出そうと言ったが、オイルを作るには、原材料を買わなければならず、平均で1グラム当たり40ドルかかるのだ。これには溶媒の費用や電気料金は含まれておらず、彼の申し出はビジネスチャンスとは言い難かった。その上、このようなグループに関われば、最後は刑務所に入ることが目に見えていた。再度私は興味がないことを彼に伝えた。そうすると彼は、モントリオールのギャングと繋がりがあり、私が応じなければ、生きていくのが大変になるぞと脅してきた。私は哄笑して、そいつらを送ってよこせと言い、モントリオールまでの道を潰されたバイクで一杯にしてやろうと言ってやった。はっきりと分からせるために、私が3トントラックを運転していて、もし彼らがそれと遊びたいのであれば、健闘を祈っていると教えてやった。彼らは、私が言ったことを本気にとったみたいだった。このグループからはその後、何の音沙汰もない。言うまでもないが、この活動を通して会うおかしな人間達のエピソードには事欠かない。
 2005年秋に再び法廷に出席したが、私は違憲審査の憲法訴訟を盛り込むべきだと勧められていた。裁判官は私にできるだけ沢山の宣誓供述書を集めるようにと言い、2006年3月までに裁判所に提出するようにと宣告した。彼は「このような事例では、判決の言い渡しまでは通常2週間程かかる」と言っていたが、私の判決はどういう訳か、5週間程かかると言われ、結果4月に判決を言い渡されることになった。私は120人に宣誓供述書を依頼したが、ここから私は人間とは本来どんなものなのかを知り始める。結果として、私は宣誓供述書を48人分しか集められなかったし、それだけを集めることすら大変だった。多くの場合、オイルで癌が治ったとしても、巻き込まれるのは嫌だと拒まれた。この時は本当に、立ち止まって自問した。自分達が使えさえすれば、他人が使えようが使えまいが、関係のない人がほとんどなのに、なぜ私は皆がこの治療薬を自由に使用する権利のために戦っているのかと。
 彼らの病気がオイルで治ったことは素晴らしいことだが、他人がこの治療薬の使用を否定され、苦しみ犬死することは、彼らの問題ではないのだ。明らかに大多数の人間はこのように考えていて、このような考え方が今日の状況を生み出したのだ。本来誰かが何かに苦しんでいるとしたら、それは我々全員が苦しんでいる、ということなのだ。多くの人が見せる自己中心的な考え方が自分自身を破壊していて、種としての我々人間が本当に悲しいものになったことを露呈しているのだ。正しいことに対して立ち上がるのを拒んだら、地球上に生きている資格があるのだろうか。そんな人間が自分達のことを理性的で愛情ある人間と呼ぶ権利があるのだろうか。
 私が憲法訴訟のために雇った弁護士と私は最初の頃、頭を突き合わせて口論した。初回の会議は嵐のようで、議論が噴出した。ある日、会議で彼は私を見て言った「リック、私は謝らなければならないことがある。私はあなたのことを犯罪者として扱ってきた。でも今はあなたがそうではないとハッキリわかるよ。」彼は私の意志が純粋なものであることに気づいてくれたようだった。しかし、この時彼はまだ、私が話したオイルの治癒力について半信半疑だった。私は「やっと本当の絵が見えてきたみたいだな。」と返した。彼は継いで「私は同僚とこのケースについて話し合ったんだが、リック、あなたがしていることは素晴らしいことだよ。」私は応じて「それがそんなに素晴らしいことなら、なんで俺はあんた達の司法システムに縛られてるんだい?」これについて彼は返事をしなかった。恐らくカナダの弁護士の半分は大麻事犯で生計を立てている、彼らは大麻取締法が存在すらすべきでないと気づいているにも拘らず。私はこの考えが間違っているか彼に訊いた。彼は私を見て頷き「その通りだよリック、ほとんどの弁護士はいかさま師なんだ。」
 この時にはもう、そんなことを言われても全然驚かなかった。彼が言ったことは、自己弁護の一つだろうと尋ねたが、これについても彼は黙秘するのだった。私は彼の言ったことに不満を言った「あんた達はどうかしてるよ。あんた達には良心ってものがないのか?モラルはどこに置いてきたんだ?」彼はただ私を見て、肩をすくめるだけだった。自分を守ってくれる弁護士からこんなことを聞くのは、司法システムが私とこの問題を公平に扱ってくれるだろうと確信させるのには、何の役にも立たなかった。私と同じ立場にいたとしたら、脳死でもない限り、この人達と司法システムがどんな代物か分かっただろう。
 患者達が、私の弁護士の事務所に宣誓供述書を提出しに来たのだが、彼らの語るオイルの経験談と、その人数の多さに、弁護士は感銘を受けたようだった。私はリバーへバートの女性シャーリー・オブライエンのやっかいな耳の病気のために、オイルを供給していた。医者達は2年間彼女を診てきたが、治療は全部失敗していた。彼女の病状は悪化し続け、医者達は診断さえ出せていなかった。彼女の片耳は、常に痛みを発していて、もう片方の調子もそんなに良くなかった。彼女は耳にかなりの不快感があり、一睡もできないと訴え、彼女の衰弱は気の毒で見ていられないほどだった。
 彼女の話を聞いた後で、私はオイルを渡し、耳に直接塗ってその上からラップを巻くようにと説明した。こうすれば、ベッドに垂れることもない。彼女には、こうしておけば眠れるし、耳もすぐに良くなるよと言い渡しておいた。二日後、シャーリーは再び私の家に来たのだが、彼女は私に謝ることがあると打ち明けた。「何をだい?」と尋ねると、それから彼女は笑いながら、何があったのか説明し始めた。「この間、オイルを貰って帰ったでしょ。その時私はてっきり、この人少し頭がおかしいに違いないわ、と思ってたの。帰って機械のグリースみたいなものを耳に塗ったら、ぐっすり寝られるなんて言うんだもの。でも、失うものは何もないし、言うとおりやってみたら、なんと赤ちゃんみたいにぐっすり眠れたのよ。」一週間で、彼女の両耳は完全に治癒し、彼女は結果に大変満足した。
 私はシャーリーが、宣誓供述書を弁護士の事務所に持ってきたとき、その場に居合わせた。彼女は弁護士を見て、私を指さし「この男は同じ重さの金と同等の価値があるのよ。」と言った。弁護士は微笑んで「おっしゃる通りです。」と返事した。目の前に展開したことに弁護士は、相当面食らったようだった。120件の依頼をして48件しか集まらなかったことに、私はがっくりきていたが、彼は驚嘆していた。「こういうケースでは、6~8人の患者から供述書がとれたら、万々歳なんですが、この数を見て下さい。これは本当に信じがたいですよ。」
 次に法廷に出頭したとき、私の弁護士は裁判官にこのケースはジョークでは済まされないとハッキリ言った。彼は裁判官に、私の主張には確たる証拠があることを話したが、裁判官は感心するでもなく、自分が話されたことに無頓着な様子だった。2006年3月上旬に宣誓供述書は司法システムに手渡された。今や私にできることは、何が起こるか見守るだけだった。この時はまだ、私は4月には判決が出ると考えていたが、その考えは甘かったことがすぐに判明するのだった。